1月29日(月曜日) 晴れ

 

1月ももう終わりです。昨日も申したような気がするんですが、ホントに月日の経過は早いです。

日が暮れるのは随分と遅くなりましたが、日の出はまだ遅いですね。

 

さて、昨日で大相撲初場所は終わりまして、横綱・照ノ富士関が復活優勝を決めましたが、次世代の力士が虎視眈々と番付上位を狙って来場所も躍動することでしょう。

そんな大相撲初場所ですが、 “江戸川区の星”  英乃海・翔猿兄弟は明暗が分かれまして、翔猿関は東前頭四枚目で負け越し、英乃海関は西十両十一枚目で勝ち越しました。まぁ、翔猿関は星の差1つなので、落ちるにしても1個か2個だと思います。英乃海関は十一枚目で二桁勝利なので、来場所は十両の上位に番付を上げることでしょう。

 

英乃海・翔猿関は江戸川区出身ではありますが、中学校は葛飾区ですし、高校は埼玉栄高校なので、実際に「江戸川区出身」といってもピンとこないのが実状。でも、本場所における力士紹介の際は「東京都江戸川区出身」と紹介されていますけどね。

 

今でこそ、英乃海・翔猿関が「江戸川区の星」と期待大で支持していますが、遙か昔にも江戸川区出身の力士がいました。

 

 

何処かしこで聞いたことがあるであろう、不世出の大横綱・栃錦清隆関です。

 

栃錦は1925年に今の江戸川区南小岩で生まれ、13歳で春日野部屋に入門、1939年1月場所で初土俵を踏みます。十両昇進時に「栃錦」という四股名が与えられますが、これは師匠である第27代横綱・栃木山の “栃” と、栃木山の兄弟弟子であった第26代横綱・大錦の “錦” から取ったもの。

太平洋戦争で徴兵されますが、復員して1945年の11月場所で復帰、入幕は1947年6月場所になります。この年の11月場所から三賞制度が始まりまして、栃錦は技能賞の常連となります。1951年からは三役に定着し、1952年9月場所で幕内で初優勝(14勝1敗)、1953年には大関に昇進しますが、力士お約束の “不摂生” が祟ってハチナナ、クンロクが続きます。令和の大関陣と変わらんじゃん。

それでも1954年9月場所で4回目の幕内最高優勝を決めて、第44代横綱に推挙されます。

同じ時期に台頭してきたのが若乃花。初対決は1951年5月場所ですが、常に熱戦になりました。栃錦対若乃花は「水入り」が当たり前、1953年から始まったテレビ中継でも栃若対決は放映され、力道山のプロレス中継とともに日本人を熱狂させました。これを歴史的に「栃若時代」と呼ぶように成増が、後に続く大相撲二強時代の嚆矢になります。1960年3月場所千秋楽では史上初となる「14戦全勝同士」の対決となりました。

 

引退は1960年ですが、既に現役時代に年寄・春日野を襲名していました。

今は認められていませんが、いわゆる「プレイングマネージャー」が認められていた時代で、相撲用語で「二枚鑑札」と言います。師匠の春日野親方が1959年逝去し、特例として二枚鑑札が認められました。

親方になってからは第49代横綱である栃ノ海や栃東(先代)、栃赤城、舛田山、栃司、栃乃和歌といった名力士を育てました。

相撲協会理事としてもその辣腕を発揮し、1974年には日本相撲協会理事長の座に就きます。

理事長時代の春日野親方の功績は何と言っても、両国国技館の建設でしょう。

関東大震災だったか、太平洋戦争での空襲でだったかは知らんけど、それまで両国にあった国技館は焼失し、代替の国技館を蔵前に建てますが、相撲協会の夢は「いつかは両国に国技館を再建」でした。それが叶ったのが1985年で、横綱・北の湖は新国技館の土俵を踏んだ後に引退を表明しています。

この新国技館は無借金で建てられたというのも当時、ニュースになりました。

また、組織にありがちな派閥抗争を排除し、能力のある者はライバル派閥でも協会の要職に就かせました。自民党に聞かせたい。

 

春日野政権は14年にわたり、かつてのライバルである若乃花(二子山親方)に後任を託して理事長職を退任し、以降は相談役となりますが、1989年11月場所の最中に脳梗塞で倒れ、1990年1月10日に逝去しました。

 

画像の像は出生地に縁があるJR小岩駅の改札口前に建てられた像です。

なお、角界初の受章(従四位・勲二等瑞宝章)者となります。

 

栃若(栃錦と若乃花)時代、柏鵬(柏戸と大鵬)時代、北玉(北の富士と玉の海)時代、輪湖(輪島と北の湖)時代・・と、昭和の相撲界においては常に “華” となるツートップがその先頭に立っていたわけですが、平成以降、「○○時代」というのは使われていません。二強だけではなくて(二強もいなかったけど)、その時代時代で土俵に立つ者が歴史を動かしているからだと私は思いますが、令和の時代、再び「○○時代」があっても良いのかなと思ったりします。その先頭に立つ力士はいつ現れるのか?

 

最後に春日野親方の “格言” を。私は高校の頃からこの格言は聞いてましたね。

 

「力士とは “力の紳士” と書く。

        ただの相撲取りであってはならない」

 

世の中が移ろっても力士は常に “紳士” なければいけないというのは、不変ということ。

勝負事ですから、そりゃあ、感情を前面に出すこともあるでしょうけど、勝負がついたら勝ち負け関わらず、潔くすべしということですよね。それは相撲だけで無く、他のスポーツにも応用できるはず。そこの人、聞いてますか?