EF65PFの去就が注目されています。

ここに来て、EF210 300番代の大量増備で運用から外れるPFが増え、令和5年夏現在で44両だったのが今はさらに減っている可能性があります。

 

貨物も旅客も牽けるという意味で「PF型」と呼称されるEF65 1000番代ですが、昭和44年のデビュー当初から客車牽引の仕事はありました。でも、メインは貨物列車の牽引。耐寒耐雪装備を強化したバージョンなので、主に東北本線や高崎・上越線での運用が目立ちましたが、後に増備されたグループは首都圏で活躍した旧型電機を取り替える目的があり、現存するPFの大半はこの一派になります。そしてPFと言えば、昭和53年から増備された25両(1092~1116号機)。東京駅発着のブルートレイン牽引を専業として製造され、スポットライトを浴びるようになります。

 

 

今でこそ、EF65PFなら「何でも良い」とばかりに、来ればシャッターを切る撮り鉄がいますが、昭和国鉄の時代はというと、レンズが向けられたのは前述の25両だけ。そのうち、1092~1095号機は下関運転所に配備されて、東京機関区配備機が台車検査で下関に送り込まれた場合だけ、その代打としてブルートレインを牽引するのが任務だったので、普段は山陽本線で貨物列車とか臨時列車を牽引していたのでしょう。だから、真の意味でスターだったのは1096~1116号機の21両のみと言えます。

 

この頃、東京駅発着のブルートレインにだけヘッドマークが装着されていましたが、そのせいもあるんでしょう。PFに似合うヘッドマークは広義も狭義も7つしかないというのも「PF伝説」にさらに拍車をかけています。

 

「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ」「瀬戸」「出雲(下り1号、上り4号)」

 

これだけ。500番代P型も同じです。

「出雲」のうち、下り3号と上り2号は「紀伊」と併結して走っていたため、ヘッドマークは装着されませんでした。59.2改正で「紀伊」が廃止されて単独運転となった時に初めてヘッドマークが取り付けられます。

他にも「あかつき」「彗星」「なは」「日本海」「つるぎ」「あけぼの」・・といった列車にもヘッドマークは取り付けられていましたけど、上記7列車ほどのオーラはありませんし、昨今のイベント列車に取り付けられる付け刃的なヘッドマークなんぞ、眼中にありません。

 

60.3改正で「瀬戸」「出雲」を除く5列車は牽引機がEF66に交代しましたが、EF66にはヘッドマークは似合わないなと。元々が貨物機ですので、ヘッドマークが無い方が生き生きして見えます。しかも「さくら」と「富士」のヘッドマークデザインが変わっちゃうし。ブルートレインに魅力を感じなくなった時期とリンクします。

 

画像を見て、あらためて「昭和国鉄のブルートレインは紛れもなくスターだった」と実感しました。

今回が1103回目ということで、牽引機が1103号機だったらなお良かったですね。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

季刊 j train Vol.88 (イカロス出版社 刊)