「首都圏の顔」、あるいは「東京の顔」と形容しても過言ではない、うぐいす色のクハ103。でもこれ、山手線用の車両じゃないんですよ。行く先表示は「蒲田」になっているし、運行番号のアルファベットは常磐線快速を彷彿とさせる “H” を掲示しているし、訳が分からん。

種を明かせば、この車両は横浜線用の車両で、撮影地は蒲田電車区(南カマ)です。

提供者様のデータによれば、「昭和60年8月25日」に撮影したとありますが、これは多分、昭和61年3月9日に蒲田電車区における撮影会での1コマと思われます。蒲田電車区開設61周年を記念した撮影会で、方向幕の “幕回し” や各種ヘッドマークを掲出していましたが、クハ103に掲げられたヘッドマークもその絡みだと思われます。

 

現在はJR東日本大田運輸区として、京浜東北・根岸線の運転士や車掌が所属す現業機関ですが、平成8年までは「蒲田電車区」として車両の配置がありました。開設は大正12年12月で、間もなく開設100年を迎えます。当初は品川電車庫蒲田分庫という組織名で、その翌年に蒲田電車庫と変更されています。

蒲田にあった火力発電所の引き込み線を再利用する形で蒲田電車区は整備されましたが、下十条電車区同様、手狭で狭隘なスペースを車両基地として整備したため、これが103系の歴史を大きく変える要因の一つになります。

 

長く京浜線の車両を扱っていましたが、昭和56年からは東神奈川電車区(南ヒナ)から転属した横浜線の車両も扱うようになりました。昭和61年6月に、京浜東北・根岸線用の車両は浦和電車区(北ウラ)に集約されることになり、蒲田電車区は横浜線専用の車両基地として活用され、民営化を迎えますが、平成8年に横浜線用の車両は大船電車区(→鎌倉総合車両センター)に転属して、蒲田電車区は車両無配置になります。

現在も車両の留置は行われていますが、さすがに横浜線用の車両は留置されず、京浜東北・根岸線用のE233系一色です。

 

画像の103系をよく見ると、編成番号が「64」と読めますので、

 

↑八王子

クハ103-349

モハ103-207

モハ102-362

サハ103-14

モハ103-210

モハ102-365

クハ103-704

↓東神奈川

 

という編成になります。

クハ103-349は昭和50年6月に落成して、新製配置は品川電車区でした。

モハ103-207とモハ102-362のユニットは昭和44年3月の落成でやはり新製配置は品川。

サハ103-14は編成中唯一の非冷房車で、昭和39年落成の103系第一期生になります。新製配置は池袋電車区。

モハ103-210とモハ102-365のユニットも山手線用で新製配置は池袋。

そしてクハ103-704が蒲田生え抜きの車両で、新製当初はスカイブルーでした。

クハ103-704以外は全て山手線で活躍していた車両だったことが判り、横浜線の新性能化や山手線における車両の需給関係でせっかく “花の都” の第一級通勤路線で活躍できたのも束の間、 “都会のローカル線” に身を寄せることになります。

 

片隅に見えるスカイブルーの車両は10両編成の京浜東北・根岸線用で、「カマ2」の編成番号を持ちます。

 

↑大宮

クハ103-419

モハ103-553

モハ102-709

サハ103-87

モハ103-662

モハ102-818

サハ103-176

モハ103-554

モハ102-710

クハ103-420

↓大船

 

という編成です。

クハ103-419と420、モハ103-553と554、モハ102-709と710は昭和51年落成で新製配置は蒲田。

モハ103-662とモハ102-818のユニットも落成日は違うものの、新製配置は蒲田で、それはサハ103-87も同じ。つまり、生年月日は違えど、全て蒲田生え抜きの車両で編成を組んでいました。おそらく、私もこの編成は乗ったことがあるんでしょうね。

 

昭和60年当時の京浜東北・根岸線用の車両は、浦和電車区と蒲田電車区、下十条電車区(北モセ)が受け持っていましたが、浦和は10両貫通編成が多かったのに対し、下十条と蒲田は4+6の編成が多かったです。前述のように下十条電車区と蒲田電車区は狭隘なため、10両編成で組成しようとしていた京浜東北・根岸線用の103系は車庫内で切り離して整備しなければならず、その関係でクモハ103が出来た経緯があります。 “タラレバ” ですけど、もし、下十条と蒲田が10両まるまる受け入れられる検修スペースが確保されていたとしたら、クモハ103もクハ103 500もラインナップされなかったと思います。

「カマ2」編成は蒲田配置車にしては珍しい、10両貫通編成でしたが、何故かサハ103-87だけが非冷房という異色の編成でした。

単調に見える103系も、調べれば調べるほど、奥が深いのが解りますよね。

 

京葉線開通や常磐線快速の15両化でクモハ103が必要となって、民営化を目前に京浜東北・根岸線はほぼほぼ100%、サハ入りの10両貫通編成となりましたが、同時に面白味がなくなってしまいました。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.302、541 (いずれも交友社 刊)

ウィキペディア(JR東日本大田運輸区)