私が関西外遊する際、今でこそ夜行高速路線バスを使いますが、そもそものきっかけは急行「銀河」が廃止になったから。

往路か復路かのいずれか、時には往復と、「銀河」にはお世話になりました。

その「銀河」が廃止になって今年で15年、早いものです。

表向きは「客車の老朽化」なんですが、それよりも廃止の理由のウエイトを占めているのがJR東海の存在。極めて非協力的なJR東海の陰謀で「銀河」を始めとした東京から西へ向かう寝台特急の命脈は尽きました。管内を深夜に通過するため、何の旨味も無いJR東海にとっては「その為だけに人(機関士)は出せない」という気持ちも解らなくはありませんが、だったら熱海-米原間をJR貨物に委託しちゃえば良かったんだって、その時は思いました。

夜行高速路線バスは「銀河」に比べてリーズナブルなんですが、まず疲れる、身体を伸ばして寝られない、座席が後部だったらエンジン音が五月蠅いなど、デメリットも数多あります。その点「銀河」はバスに比べて多少お高いものの、雲泥の差というほどの料金差は無いし(急行だしね)、身体を伸ばして寝られるし、客車だから電源車が次位にあるA寝台以外は比較的静かだし、悪くないと思うんですけどね。

 

画像は20系客車を使っているものの、機関車はEF65PFなので昭和55年10月以降の撮影と思われます。

首都圏でも至極お馴染みのEF65PFですが、宮原機関区配置機が担当していたので、これはこれで珍しい。当時、宮原のPFが定期運用で来京するのは「銀河」牽引時だけだったと記憶しています。

形態的には先に登場した7次形(1092~1118)と同等ですが、多少のイレギュラーはあるにせよ、基本的には運用区間が山陽本線だけで寒冷地を走らないことが前提だったので、落成時からスノープラウの取り付け、砂巻き管の凍結防止用加熱ヒーターの取り付けは省略され(7次形は最初中の最初はスノープラウや汽笛カバーが取り付けられていた)、主電動機や避雷器も改良品が装備されました。

 

 

こちらは昭和55年10月現在の「銀河」の時刻表になりますが・・・大磯と二宮が抜けている。まぁ、いいか。上りも下りも停まらないし。

同じ夜行運用ながら、下りと上りでその性格は多少異なります。停車駅が若干違うのがその証し。名古屋は通過扱いになっていますが、運転停車はしていたと思われます。また、下りは新大阪を通過していますが、オンシーズンになると臨時停車していました。そして夜行列車らしく、長時間停車も頻繁に行っていますね。下りは浜松が最も長い停車時間になりますが、上りは浜松(10分)、静岡(9分)、沼津(17分)、横浜(6分)で長時間停車を実施しています。その関係で東京駅に到着するのは9時半過ぎ。朝イチの上り新幹線(ひかり170号~新大阪6時発)の東京着が9時10分なので、上りの「銀河」はあまり使えなさそう。多分、通勤時間帯にバッティングしちゃうので、その配慮も兼ねているんでしょうけどね。

 

今度、関西外遊する際は通常とは逆に往路を「サンライズ」、復路を「ドリーム号」にしようかと思っています。下りの「サンライズ」は新大阪や大阪には停まらず、姫路まで持ってかれてしまいますが、20分少々の待ち合わせで新快速の上り一番列車に接続でき、それに乗れば7時前には大阪駅に着きますので、面倒ではありますが使えなくはありません。その時間帯に駅そばの「まねき」が営業していればなお結構。

 

改まって言うのもなんなんですが、「銀河」は良い列車でした。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.285 (交友社 刊)

時刻表1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)

JR時刻表2023年3月号

鉄ぶらブックス①「伝説のブルートレイン全列車」

(いずれも交通新聞社 刊)