日本全国津々浦々、架線のあるところなら何処でも走れた485系電車。寒いところも暑いところも、平坦区間でも急勾配区間でも走れちゃう優れ電車。時間が無かったので調べられませんでしたが、485系を使用した特急って何種類くらいあったんですかねぇ~? 「雷鳥」のように運転開始から廃止までずっと使われ続けた列車もあれば、「むつ」のようにあっという間に消えた列車もあります。その中で私的に一番異彩を放ったのが画像の「くろしお」じゃないでしょうか。
「くろしお」に485系を投入する経緯についてはこちらの方が何となく詳しいので、ここでは割愛しますが、「くろしお」の485系投入は想定外中の想定外でした。でも、背に腹は代えられなかったんですね。案の定、381系と比べても鈍足感は否めず、阪和線内は誤魔化せても紀勢本線内では全くの木偶の坊だったらしいです。そりゃそうですよね。485系は連続曲線区間を想定した設計にはなっていませんからね。
「くろしお」に485系が投入されたのは昭和60年3月のダイヤ改正から。18往復中4往復が485系の受け持ちでした。基本は4両で、下り3号、上り28号の1往復だけ4両を2本繋げた8両編成で運行しましたが、基本が4両というのも「485系くろしお」の評判を下げた一因でした。381系は60.3改正以降は2両減車の7両編成になりましたが、それでも4両と7両とでは輸送力は雲泥の差。しかもグリーン車無し。これでは内外から扱き下ろされますわな。
それで61.11改正で再び381系に統一されるわけですが、国鉄の財政難は60.3改正時と変わらないので、新製は出来ず、「やくも」用の車両をかき集めて485系を置き換えることにしました。
←天王寺 新宮→
クハ480ーモハ485-モハ484-クハ481
1 249 606 209
2 228 607 208
3 250 609 211
4 226 605 203
5 254 613 212
6 251 610 205
7 255 614 207
8 253 612 204
9 225 604 210
10 252 611 201
11 227 606 217
これが「くろしお」に投入された485系の精鋭です。
クハ481は貫通扉付きの200番代で揃えているのがミソで、200番代のトップナンバーである201番も送り込まれました。
前述のような一部列車とオンシーズンの多客時に4×2の8両編成で運転することからクハ481 200に白羽の矢が立ったと思われますが、この時初めてクハ481の貫通扉が生きることになります。
クハ480はサハ481を先頭車化改造したもので、1~3は種車の関係からキノコ型クーラー(AU12)を装備していましたが、それ以外とクハ481、そして中間車はAU13E(モハ485)、AU71A(モハ484)を装備した後期型に、さらにモハ484は車掌室付きの600番代にそれぞれ統一しています。
61.11改正で「くろしお」運用から追われた485系は「北近畿」用として再活用されることになりますが、さらに交流機器という名のイチモツを取っ払われて直流専用となって、オリジナルとは似ても似つきませんが183系の仲間になりました。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアルNo.897 (電気車研究会社 刊)
日本鉄道旅行歴史地図帳第8号「近畿」 (新潮社 刊)
復刻・増補国鉄電車編成表・1985年版 (交通新聞社 刊)
時刻表1985年5月号(日本国有鉄道 刊)