「国鉄伝説」にしようか、「営団伝説」にしようか迷いましたが、おまとめにします。

 

私が鉄道にハマるきっかけになったのは営団地下鉄(当時)東西線であるというのは、弊愚ブログが始まって以来、ひつこいほど申し上げていますが、今更ながらお復習いを。

 

あれは4~5歳の頃だったと記憶しています。だからちょうど半世紀前かな。

毎週ではありませんが、土、日になると江東区越中島にあった母方の祖父母の家に行っていました。日曜日は父親の運転する車で行っていましたが、土曜日は電車でした。

あの頃は西葛西駅が無かったので、必然的に葛西駅から乗ることになりますが、ご存じのように葛西駅は副本線があって、葛西を通過する快速は本線をそのままスルーし、各駅停車はホームが設置された副本線に入線することになります。その本線を100km/hで突っ走る東西線の快速に洗脳されました。そんな東西線の快速ですが、50年以上生きてきて、50年以上東西線に乗っているのに、快速は数えるくらいしか乗ったことがありません。西葛西も葛西も停まらないしね。もし、その頃に西葛西駅があったとしたら、ああは(鉄道に)ハマらないと思います。

それと、高校になってからかな。

今で言うゲリラ豪雨の最中に、スピードは抑制されていたとしても、凄まじい速度で葛西駅の本線を爆走する5000系(試作アルミ車)も鮮烈だったなぁ~。

 

説明するまでもありませんが、営団地下鉄5000系は銀色の車体に青の腹巻きをしています。あの青は「ハイライトブルー」とも呼ばれ、その名の通り、タバコの「ハイライト」にインスピレーションされました。

ある時、葛西駅でその「銀色に青の腹巻き」をした電車を待っていると、いつもと違う電車がやって来ました。銀色の車体は変わらないんですが、腹巻きの色が黄色い。これは何じゃらほい? と子供心に底知れぬ疑問を感じました。後になって判った(解った)ことですが、黄色い腹巻きをした車両は国鉄の車両で、初代の乗り入れ車両である301系になります。

 

そして、同じ黄色い腹巻きを巻いた電車でも2種類あることを幼稚園末期から小学校に入学する頃合いに知りました。

「黄色い腹巻きをしているけど、顔が違う」

そう思ったんですね。

まさか、103系の仲間だとはその時は思いもしませんが、顔の上部に豚の鼻のようなヘッドライトが印象的で、同じ鉄道好きだった友人と「ブタ電」と呼んでいました。その「ブタ電」、千代田線にも走っていることを同じ時期に知りました。

 

全く根拠は無いんですが、この「ブタ電」は私的にいつしか「あけみちゃん」と呼ぶようになりました。

繰り返しになりますが、根拠はありません。さらに千代田線用の「ブタ電」は「あけみちゃん」とは形容しませんでした。

さっき、「根拠は無い」と申しましたけど、でも何かしらのきっかけはあったはず。でないと、一介の鉄道車両に「あけみちゃん」って形容しませんよね。

 

103系1200番代は千代田線乗り入れ用と時を同じくして昭和45年に登場しました。

国鉄の地下鉄乗り入れ用車両といえば、301系をまず連想しますが、前述のように営団千代田線開業、乗り入れ用として301系の増備を検討します。しかし、素材であるアルミニウムが当時としてはかなりの高価で、財政難の国鉄にあってそう簡単に増備出来るものではなかったことから、千代田線開業・乗り入れ用と東西線乗り入れの増備車両にはアルミニウムではなくて、鋼製車体を用いることを決めました。車体は勿論のこと、足回りも103系に準えたことから、103系のグループとして見なされ、番号を別途、設けました。千代田線用が1000番代、東西線用が1200番代となりました。

 

本来だったら、1000番代をそのまま増備しても良かったんですが、乗り入れ先の都合から似て非なる車両になりました。

一つ目が「保安装置」の兼ね合い。

首都圏の国電区間には過去に起こった事故を教訓として保安装置の近代化と装備の義務化を図ってきましたが、その代表格にATC(自動列車制御装置)が挙げられます。

山手線と京浜東北・根岸線(+横浜線)にはATC6型、総武線快速と横須賀線にはATC5型、そして営団千代田線を含む常磐線緩行にはATC4型がそれぞれ設置されました。

103系1000番代はそのATC装備の兼ね合いから、運転台後部の戸袋窓がありませんが、1200番代はATC関連の装備はされていないので(実際はATC3型が装備されている)、運転台後部の戸袋窓は復活しています。

それから、103系1200番代は営団5000系や国鉄301系に倣ってM’c車を起こす必要があったことから、初めてクモハ102が設定されました。でも、地上用の0番代とは互換性が無いので、クモハ103-クモハ102という編成は組めません。

当時の東西線は7両が基本だったので、103系1200番代も7両編成で落成しています。

 

私的に「黄色い腹巻きをした電車」は一種のカルチャーショックだったわけですが、後々301系と103系1200番代もまた、「似て非なる車両」であることも判る(解る)ようになります。車体は勿論のこと、同じMT55で武装しているのに、妙に音も違くない?

営団車と国鉄車は一長一短で、どっちが来ても一喜一憂しました。

祖父母の家に行く時は葛西から門前仲町まで乗るのですが、基本的には一番後ろ。即ち、「後部かぶりつき」をするのですが、運転台と車内との仕切りの窓が営団車は低くて大きいので幼き私でも見られるのですが、国鉄車は高くて小さいので「後部かぶりつき」は出来ません。でも、乗降用ドアはその逆で営団5000系は小窓で、301系と103系は大きいことから、国鉄車が来た時は「側面かぶりつき」をすることになりますが、鉄橋(荒川中川橋梁)を渡るとすぐに地下に入ってしまうので、車窓を眺めるのはその鉄橋までということになります。

 

最初は黄色い腹巻きだった301系と103系1200番代ですが、総武線緩行に205系が投入されたのが「運命の分かれ道」

で、私や他の鉄道愛好者はそう思わないんだけど、一般の利用者から「間違えやすい」という指摘があったことから、腹巻きの色を東西線のラインカラーに合わせて青色に変更しました。何処をどうしたら間違えるのだろう?

 

撮影地は西船橋駅かな?

5000系に掲示されている「地下鉄 快速」の種別幕も懐かしい、昭和の営団東西線です。

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.261(交友社 刊)