昭和国鉄の常磐線といえばこの組み合わせ。

やっぱ、「エメグリと赤電」は鉄板でしょう。

現在の常磐線中電の主力であるE531系にこの "赤電" を再現したラッピング車が登場して話題になりましたが、私も遠目で現物を見て、あらためて「似合わねぇ」って確信しました。やはり、 "赤電" は近郊形車両の方がしっくりきます。

 

21世紀の昨今、統一はされているみたいですが、この頃は片や「快速」で片や「普通」なのに、「快速」はその責任を果たしているように見えますけど、「普通」という種別なのにどんどん通過していく理不尽な列車。常磐線に詳しくない人は「普通」=「各駅停車」だと思い込んで乗り込んで、乗った後に泣きを見ることになります。

同じような現象が東海道線や東北・高崎線、そして中央東線にもありまして、今も変わりありませんが、「普通」であるはずの列車が何故か快速みたいな扱いで限られた駅にしか停まらなかったりします。でも、気がつくと本来の「普通」列車となってホントに各駅に停まるようになります。

 

首都圏の場合、この5路線には共通していることがあり、東海道線の東京-大船間と東北・高崎線の上野-大宮間は並行して4扉の列車が走っており(京浜東北線のこと)、これが各駅停車の役割を果たしています。つまり、4扉車と3扉車には明確な "差" と言いますか、立ち位置がありました。今は全部4扉車になっているのでそういう "差" はないけど、国鉄時代は3扉の方が4扉よりも "上" という国鉄の慣例がありました。大相撲の番付に準えれば、101系や103系といった4扉車が前頭だとしたら、113系や115系といった3扉車は小結や関脇といった立ち位置になります。なお、総武線では3扉車と4扉車とで普通と快速という明確な位置付けがなされていたので、ここでは割愛します。

 

さらに中央東線中野-三鷹間や常磐線綾瀬-取手間には、正式な種別ではないけど "緩行" というのがあり、加えて便宜上の路線名でもあり、これが各駅停車の役割を担っています。どれも地下鉄乗り入れが大きく関与しており、特に常磐線はこれが快速⇔緩行、普通⇔緩行への乗り換えの面倒臭さに拍車をかけています。営団地下鉄(→東京メトロ)千代田線北千住-綾瀬間の延伸開業の際、快速線にも綾瀬駅のホームを設置し、快速や普通、特に快速を綾瀬駅に停めればこんな面倒臭さや問題は起きなかったんですけどね。運賃関係も理不尽が生じているようだし。

 

それと常磐線は「普通」と「快速」とで逆転現象が起きるところがありました。

お復習いしますと、4扉車が「快速」で、3扉車は「普通」なんですけど、「普通」は三河島、南千住、北千住、柏(一部は停車)、天王台は通過していました。この駅には「快速」が停まりまして、冒頭の話ではありませんが、常磐線を知らない初心者の乗客はこの逆転現象によって泣くことになります。これも繰り返しになりますが、3扉の車両を使う路線で「普通」と名乗っていても、決して「各駅停車」ではないのです。「国鉄の都合」って面白いですよね。

 

話題を変えます。

401/421系に始まった3扉セミクロスシートの近郊形車両はその勢力を広めまして、直流用の111/113系、115系、119系、121系、211系、交直両用の403/423系、415系・・と発展することになります。この他に別途、地方都市線区向けにはセミクロスシートを採用しながら2扉化した115系3000番代や213系、413系、417系、交流用の713系、717系も近郊形車両に含まれます。なお117系や北海道用の711系は分類上は近郊形に属するけど、製造当初のコンセプトが他の近郊形車両とは異なりますので、ここでは対象外とします。

画像はその嚆矢になった401系で、前述のように近郊形車両の第1号であると同時に、量産型交直流車両の草分けでもあります。

 

401系の先頭車クハ401は、パノラミックウィンドウとその下に据えられた大目玉の前照灯、そして貫通扉を備えた独特の前面形状を持ちますが、このスタイルは401系登場の2年前にお目見えした "東海型" 153系に端を発します。さらにクハ401とクハ421の初期ロットはクハ153の初期ロットに倣って広窓の低運転台仕様になっており、クハ401-1~22、クハ421-1~16が該当します。しかしこの頃、自動車の普及とともに各地で踏切事故が後を絶たず、事態を重く見た国鉄は視認性の確保や乗務員の安全を考慮して、昭和36年以降に製造されたグループ(クハ401-23~とクハ421-17~)からはやはりクハ153の500番代に倣った狭窓の高運転台となり、直流用のクハ111も同様の仕様となったことから、近郊形車両のクハで低運転台仕様となったのはクハ401とクハ421のみとなりました。

 

国鉄の設計陣もよほど気に入ったのでしょうか、通勤形にも同じ事が言えますが、結果的に近郊形のクハ401、クハ421、クハ111、クハ115、クモハ114、クモハ115、クハ411、クハ412、クモハ413、クハ416、クモハ417、クモハ711、クハ711、クハ712、クモハ713、クモハ716、クモハ717、クハ716、急行形のクハ153(クハ164)、クハ155、クロ157、クハ159、クモハ165、クハ165、クハ167、クモハ169、クハ169、クモハ471、クハ471、クモハ473、クモハ455、クハ455、クモハ457etc・・・は多少の差異はあっても皆、同じ顔つきになり、国鉄車両を代表する "顔" の一つになっています。

 

高運転台は今も辛うじて残っていますが、低運転台車はクハ401が昭和57年までに、クハ421が昭和62年までに、そしてクハ153が昭和58年までに全て廃車になり、JRには継承されませんでした。ただ、例外が一つだけあり、貴賓車クロ157-1が今もJR東日本に籍だけ置いて、東京総合車両センターに保管されています。1号御料車編成とともに同所内ある御料車庫が塒でしたが、今年、その御料車庫が老朽化で解体されてしまいまして、EF58 61は鉄道博物館に収蔵されましたが、1号御料車編成とクロ157-1はその去就がハッキリとされていませんし、JR東日本も公式にプレスリリースを出していません。宮内庁が保有する車両ではないと思いますので、博物館での保存や展示は問題ないと考えますが、現状はなかなかハードルが高いのでしょう。でも、1号御料車編成とクロ157-1は保存の対象になり得るものと思いますので、JR東日本と宮内庁の英断を期待せずにはいられません。

 

常磐線の話がいつの間にか皇室用車両の話に変わっちゃった・・・。

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.780 (電気車研究会社 刊)

国鉄監修・交通公社の時刻表 1979年12月号 (日本交通公社 刊)

営団地下鉄車両写真集 (交通新聞社 刊)

ウィキペディア(国鉄413系/717系、同713系、皇室用車両など)