所有事業者:ジェイアールバス東北

仕様・用途:都市間夜行高速路線仕様

登録番号:青森22 か ・578

社番:641-7903号車(※)

配置:青森営業所(※)

初年度登録:1987年

シャシー製造:いすゞ自動車

搭載機関:いすゞ10PC1型

車体架装:アイ・ケイ・コーチ

車体型式:IKハイデッカーⅥ型

車両型式:P-LV719R

車名:いすゞスーパークルーザーSHD

撮影日:1989年11月23日(木曜日)

撮影場所:東京駅八重洲口

※・・たぶん

 

 

久々のJRバス東北です。

これ、ずっと盛岡と東京を結ぶ便に充当していたものと思っていました。

このコーナーで取り上げる際に、データとして重要になるのがナンバープレートと社番。でも、この画像ではそれを読み解くのが困難ですが、調べてみたらおそらくではありますが、1987年式の641-7903号車であると判断しています。といっても、これもおそらくですが、登録自体は1988年で1987年度納入という扱いだと考えられます。

それを基に配置を調べてみると、分社化してJRバスが発足した1988年4月現在で沼宮内営業所(たぶん、同営業所盛岡支所~現在のJRバス東北盛岡支店)配置車であることが判りました。その当時は路線バスの愛称はありませんでしたが、後の「ドリーム盛岡」号専用車じゃないかと予想し、撮影時もそれを撮ったものと判断しました。

 

今度はナンバープレートから手掛かりを得ようと思いましたが、沼宮内営業所なら岩手ナンバーになるはず。ところがどうも、画像の車は青森ナンバーっぽいんですね。えっ!? でも、あの頃のJRバス東北青森営業所が管轄する東京方面行きの夜行高速路線バスといえば、「ラ・フォーレ」しかないよな。さらにJRバス東北にはしっかりと「ラ・フォーレ」専用車はありましたし、盛岡東京線だって乗車率が悪いわけじゃなかったはずだし・・・。

 

推測の域を脱しませんが、641-7903号車は沼宮内(盛岡)に新製配置して盛岡東京線に充当された後、青森営業所に転配して「ラ・フォーレ」専用車になったと考えられます。

その頃の思い出を引っ張り出すと、とにかく「ラ・フォーレ」の配車台数が多かったのは記憶しています。すれ違いざまに何回か邂逅したことがありますし、実際に撮っていますけど、1便で4~5台はあったのでは?

元々、「ラ・フォーレ」は東京-弘前間の「ノクターン」の救済で運行開始した経緯があり、折りしも青函トンネル開業ブームの真っ只中。「ラ・フォーレ」も増車に次ぐ増車を迫られたのでしょう。そこで、4社で運行していた盛岡東京線でJRバス東北が担当する運用の一部を他の3社(JRバス関東、国際興業、岩手県交通)のどっかに移管して「ラ・フォーレ」」用の車両を捻出したのではないかと。バブル期真っ盛りなんだから、JRバス東北とて新車を導入出来ないわけじゃないし、その辺の車両の需給関係をもうちょっと知りたいですね。

普通に「ノクターン」も配車台数は多かったので、「ラ・フォーレ」は見事に救済の役割を果たしていました。

 

あの当時の夜行高速路線バスといえば、日野はブルーリボンRUのグランデッカ、日産ディーゼルならDA6スペースウィング、三菱ふそうならMS7スーパーエアロタイプⅡかMU5エアロクィーン・Wを使うのがお約束になっていましたが、LV7スーパークルーザーを夜行高速路線バスに充当したのはこの東京盛岡線が最初です。その背景には国際興業が影響しており、JRバスが高速路線仕様でスパクルを導入したのは、国際興業の発言力が強かったからだという論と説がありましたが、MS7系エアロシリーズに次いで私が推していたのがLV7系スパクルだったので、しかも、スパクルのJRバスカラーは結構衝撃的でした。

 

昔、関越道と北陸道を使って金沢へ行く便を設定した時、共同運行事業者である西武バスの意向で3軸車を導入せざるを得なかったJRバス関東。既に2軸車エアロクィーン・M全盛の時期に「わざわざ3軸車なんて・・・」って思いがありましたが、そこはJRバス関東の意地というか、プライドのスイッチが入りまして、「日産ディーゼルは導入しない」とばかりに、同じ3軸車のエアロクィーン・Wを新規に導入した経緯がありますが、西武バスも国際興業もJRバスに物申せたんですよね。

 

「ラ・フォーレ」のJRバス東北車は同じスパクルでも富士重工製ボディを架装した車が印象的ですが、まさか標準ボディのアイ・ケイ・コーチ製ボディを架装した車も使っていたなんて・・・。

三十数年経って目から鱗が落ちました。

 

 

【参考文献・引用】

JRバス 30年の軌跡 (マガジン大地社 刊)

ウィキペディア(ジェイアールバス東北、同盛岡支店、同青森支店、高速「ドリーム盛岡」号、高速「ラ・フォーレ」号)