No.1075の大隅線に続く、ローカル線特集(?)。今回は静岡県の二俣線です。

東海道本線の掛川駅から分かれて浜名湖の北岸を回って、同じ東海道本線の新所原駅までを結ぶ全長67.7kmの路線でした。昭和59年に特定地方交通線に認定されてしまい、廃止になる予定でしたが、第三セクター方式で生き残る案を選び、国鉄末期の昭和62年に3月に天竜浜名湖鉄道として再スタートを切りました。

 

大隅線の項でも申したように、国鉄の赤字ローカル線というと、ついつい政治家が選挙で当選するための公約のダシに使われるのがお約束のように見えたり聞こえたりしますが、二俣線は政治というよりも軍の意向に拠るところが大きい路線でした。

元々、二俣線は掛川から美濃の方へ向かう路線として計画された路線ですが、戦時色が濃くなり、敵国(鬼畜米英)の艦砲射撃などで東海道本線が損傷を受けた際のバイパス路線とする計画に変更し、現在に通じる掛川-新所原間で落ち着きました。

最初に開通したのは掛川-遠江森間で昭和10年のこと。その翌年に新所原-三ヶ日間が開通し、こちらは二俣西線と呼ばれました。同時に掛川-遠江森間は二俣東線と呼ばれることになります。全線開通は昭和15年でこの時東線西線を統合して二俣線となります。

 

昭和33年から41年までは遠州鉄道の列車も乗り入れていまして、また、二俣線時代は新所原から東海道本線に乗り入れて豊橋まで行く運用がありました。つまり、天下の東海道本線に気動車列車が営業運転で走っていたことになります。まぁ、当時の草津線の列車や福知山線の列車など、天下の東海道本線に気動車列車や客車列車が乗り入れるのはそんなに珍しいことではないか。

 

画像は三ヶ日駅で上下列車が交換するシーンで、二俣線末期の昭和60年頃の撮影だそうです。

ところで二俣線の観光資源って何だろう?やっぱり、浜名湖? それとミカン畑? よく「三ヶ日みかん」って箱を目にする機会も多いし。

天竜浜名湖鉄道になってからは、路線や沿線のストラクチャーが国の登録有形文化財に指定されるケースが多く、現在までに36件が登録されているのだとか。また、映画やドラマ、漫画などにも登場して、「聖地巡礼」を行うファンもいるので、「観光資源といえばそれ」ということになるんでしょうね。

 

路線名はあくまでも「二俣線」。決して「二股線」ではありませんので。

 

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

ウィキペディア(天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線、三ヶ日駅など)