ここは品川駅。

今、品川駅はリニア中央新幹線の駅工事とそれに関連する大規模な再開発事業の真っ最中ですが、姿形は変われど、鉄道の重要拠点であるのは、品川駅が開業して150年が経っても変わらないことになります。そして、昭和国鉄の時代は東京機関区、品川客車区、田町電車区、品川機関区など数多くの現業機関がここに鎮座し、その関係で様々な列車や車両が行き交っていました。普段はなかなかお目にかかれない臨時列車や団体列車、構内ではブルートレイン客車の入れ換え作業、検査で工場入りしていた車両の試運転、工場から物資を運んで車両基地にやって来る配給列車など、定期列車に混じってこういったイレギュラーな列車や車両が品川駅に出入りし、1日いても飽きないのが昭和国鉄時代の品川駅でした。そしてもう一つ、メーカーで完成した新製車両が公式的な試運転を実施する際も品川駅に立ち寄っていました。代表的なのが横浜にある東急車輌製造(→総合車両製作所横浜事業所)ですが、画像もその中の1枚になります。

 

撮影日が昭和50年8月26日となっていますので、今から約半世紀前の品川駅構内ということになりますが、普段は臨時列車や団体列車が入線する臨時ホームに佇んでいるのは完成したばかりの103系。セピア色がかっているので、クハ103はともかく、クハの次位がスカイブルーなのかエメラルドグリーンなのか見分けが付きにくいんですが、正解はスカイブルー。そうなると如何にも山手線と京浜東北線向けの車両に見えますよね。でもね、違うんですよ。確かにクハ103は山手線向けの車両ですが、スカイブルーは京阪神緩行線向けの車両になります。

 

↑東京

クハ103-355

モハ103-496

モハ102-652

サハ103-391

モハ103-497

モハ102-653

クハ103-356

↓横浜

 

だそうです。

昭和49年度第1次債務計画で発注された80両のうちの7両で、発注名目は「大阪緩行線新性能化」です。

この7両に限らず、この時の発注はクハ103は全てうぐいす色で品川電車区(南シナ)に配置される車両。そして中間車は全てスカイブルーで高槻電車区(大タツ)と明石電車区(大アカ)に配置される車両になります。画像のモハ103-496、497,モハ102-652、653、サハ103-391は高槻に配置されることになっていました。

 

 

同じ画像を横浜寄りから撮ったものです。つまり、クハ103-356になります。

うぐいす色のクハ103は言わずと知れたATC準備仕様の高運転台で前年から製造されている仕様になります。これを従来車と差し替えて、炙れた低運転台クハ103は冷房車の新車にくっつけた後、自力で大阪へと回送されることになりますが、画像の編成の場合、差し替えられたのは昭和50年8月30日付で高槻に転配されたクハ103-37と38じゃないかと思われます。落成日(公式試運転の日)から4日で差し替え作業と大阪への回送準備をしたのではないでしょうか。

今だったら機関車牽引による甲種輸送で送り込まれるんでしょうけど、国鉄時代は同一の電流方式なら自力で回送するのが一般的でした。もっとも、直流区間⇔交流区間や地方向けの気動車や客車は甲種輸送になりますけどね。

 

この時のクハ103-37と38は非冷房のままで、本来だったら冷房は使用出来ないのですが、冷房電源用のMG(電動発電機)がモハ102に搭載されているので、クハに冷房のON・OFFスイッチを取り付けるか、クハの一方を冷房車に差し替えたりして、冷房が使えるように工夫しました。

方向幕が「試運転」を表示せず白幕にしているのは、おそらくうぐいすとスカイブルーとでは幕の内容が異なり、「試運転」の収録位置も違うことに対する措置と考えられます。もし京浜東北線向けだったら、「試運転」を掲出すると思うんですけどね。

 

クハ103-355と356は最後までコンビを組み、東神奈川→蒲田→津田沼(習志野)→京葉と渡り歩いて平成14年に廃車されています。

電動車ユニットは別々の道を歩み、モハ103-496とモハ102-652のユニットは奈良と森ノ宮を行ったり来たりした後、日根野に転配されるのですが、ここで一足先に転配されていたモハ103-497とモハ102-653のユニットと約15年ぶり再会します。モハ103-497とモハ102-653のユニットに遅れること2年、平成25年に廃車になりました。

モハ103-497とモハ102-653のユニットは、明石転配後一旦、岡山に異動したことがありました。約10年岡山で活躍して再び関西(奈良)に戻り、日根野でその生涯を終えています(平成23年廃車)。

 

103系も残り僅かとなり、最後まで残ると思われた高運転台は全て鬼籍に入ったのは意外でしたが、常に申し上げているように、私的には加古川線と播但線と筑肥線の103系は103系と認めていないので(一応、紛れもない103系なんですけどね)、和田岬線の車両が “卒業” した段階で私の中での103系は終わりを告げています。

 

 

【画像提供】

2枚ともレ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.541 (交友社 刊)

キャンブックス「103系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)

レイルラボ