21世紀の昨今、東京から南紀に行くには、どれが一番最短なんでしょう?

説明するまでもなく、航空機がベストなんですが、1日3便しか運航されていません(それも羽田発着のみ)。

鉄道だと、やっぱり新幹線+特急「南紀」でしょうか?

「のぞみ1号」の名古屋着が7時34分で、運良く8時02分発の「南紀1号」に接続出来ますが、「南紀1号」の紀伊勝浦着が11時56分と、半日潰れます。品川始発の「のぞみ99号」も名古屋以降は同様のダイヤになります。

 

大阪回りではどうでしょう?

やはり「のぞみ1号」のダイヤを例に挙げると、「のぞみ1号」の新大阪着が8時22分。30分少々の待ち合わせで8時58分発の「くろしお3号」に接続しますが、「くろしお3号」は白浜止まりで、白浜以南は季節列車の「くろしお5号(新大阪9時28分発)」か「くろしお11号(同12時13分発)」まで待たなければいけません。「くろしお5号」が運転される日ならいざ知らず、そうでないと必然的に「くろしお11号」に乗ることになり、その場合、紀伊勝浦にしても新宮にしても到着は夕刻。そうやって考えた場合、名古屋での接続がベターということになります。どっちにしても南紀は遠い世界であることに変わりありません。

 

初期の国鉄コーナーでも似たようなことを書き込んだ記憶がありますが、「「紀伊」があればな・・」とたまに思うことがあります。あっ、南紀に行く予定は今はありませんが(何やねんっ!?)。

 

 

国鉄世代には懐かしい、寝台特急「紀伊」。

忘れられた存在ではありますが、紀勢本線にもブルートレインは走っていました。

寝台特急としての「紀伊」が登場したのは昭和50年3月でしたが、その前は同区間を走る急行列車でした。東京から名古屋までは「銀河(下り1号、上り1号)」にくっついて走るのは後の特急化と同じですが、増収を狙ったのか、ブルートレインブームに肖ろうと思ったのかは知らんけど、14系客車を使用していた「あさかぜ(下り2号、上り3号)」の廃止で車両を捻出し、「銀河」を米子まで延長して「いなば」と改称しました。「いなば」の特急化+米子延長は人気列車で寝台券の入手もままならない「出雲」の救済が主な理由ですが、「紀伊」の特急化はそれに付き合った格好になります。

昭和40年代、南紀観光がブームになっていて、急行「紀伊」の乗車率も悪くはなく、当時の国鉄の看板商品だった「ブルートレインになる」ということで人気も維持出来ると国鉄は見越したんでしょうね。でも、蓋を開けてみると、実質的な運賃値上げになるので、利用客は「じゃあ、乗らない」とそっぽを向いたのです。しかも、急行時代には連結されていたA寝台が特急化と同時に連結されなくなり、三段式B寝台のみのモノクラス編成になったことで、ホスピタリティが低下してしまいました。南紀ブームも下火になったことで、特急になった「紀伊」の乗車率はさらに悪くなります。

 

趣味面で見ると、東京駅発着の九州・山陰方面ブルートレインは当代きっての大スターだったのは過去に何度かお伝えしていますが、同じ東京駅発着なのに「いなば・紀伊」は人気がありませんでした。今となっては贅沢な話ですが、「いなば・紀伊」だけ牽引機関車が東京機関区のEF65ではなくて、浜松機関区が担当するEF58だったのです(昭和55年からEF65に変更)。2列車連結ということでヘッドマークは付かず、世が世であれば人気も沸騰したのでしょうけど、昭和50年代前半のゴハチはコアなマニア以外、人気が全くなく、ブルートレイン目当ての撮り鉄にシカトされる始末。

「いなば」もまた、「出雲」の救済で特急化されたは良いんですけど、肝心の出雲までは行かなかったことで乗車率が悪く、テコ入れの意味で53.10改正で出雲市まで延長した上で、「出雲(下り3号、上り2号)」に改称されます。ここでようやく客が乗り始め、民営化後はJR西日本が管轄し、個室寝台も連結されるようになります。そして現在の「サンライズ」へと継承されるわけですが、「紀伊」は「出雲」の人気に肖れないまま、59.2改正で廃止されてしまいます。

 

さて画像ですが、昭和51年8月に撮られたものだとか。

人気が今ひとつだった「紀伊」も唯一、撮る目的があるとすれば、DF50一点に絞られると思います。

名古屋から先、亀山までは亀山機関区のDD51が、亀山-紀伊勝浦間は同区のDF50が引き継ぎます。

この頃のDF50は亀山機関区、米子機関区、高松運転所、高知運転所、そして宮崎機関区に配備されていまして、この中で寝台特急を牽引していたのは亀山(紀伊)と宮崎(富士と彗星)だけでした。

老朽化の兆しが見られて米子や亀山配置機はDD51への置き換えが進んでおり、日豊本線も宮崎以南の電化工事が進められていたので、活躍の場が狭められていたのです。そのせいか、終焉間近になるとDF50牽引のブルートレインを撮ろうと、彼方此方で撮り鉄が出没するようになりますが、媒体に登場するのは青井岳を通過する「富士」と「彗星」ばかり。なかなか「紀伊」を牽引する姿を媒体で見たという記憶はありません。

ただ、普段はのっぺらぼうでも時折、ファンサービスで那智の滝などをデザインしたヘッドマークが取り付けられることがあり、そうなると話は別になります。

 

DF50が「紀伊」を牽引したのは昭和54年6月までで、DD51に置き換えられましたが、亀山での交換は変わらず。

「DD51がそのままスルー運転すればええやん」と思われますが、亀山駅は関西本線と紀勢本線の分岐駅で名古屋から紀勢本線に乗り入れる場合は、ここでスイッチバックする必要があります。亀山で機関車を機回しして付け替える位だったら、別の機関車を用意して列車が到着し次第、待機していた別の機関車をそのまま連結してさっさと発車するパターンなのだと思われます。

DD51に変更になったことで伊勢線(→伊勢鉄道)経由にすれば、亀山でのスイッチバックや機関車の付け替えも無くなって運転時間が些かでも短縮されたでしょうに。「どうしても」って言うなら、津で交換しても良いのにとは思いますね。

因みに今は関西本線名古屋口と同線加茂口、そして紀勢本線とは運転系統が完全に分離していますので、直通運転するというのはありません。

 

 

これは昭和53年8月現在の下り「紀伊」の時刻表になりますが、名古屋は機関車付け替えのための運転停車になります。

運転時刻からも判るように、「紀伊」の撮影記録が少ないのは紀勢本線内を走る時間帯にあるのではと考えます。夏場であれば、尾鷲から先で撮るチャンスがありますが、冬場だと終点間近でなければ撮影のチャンスはありませんし、上り列車は出発が夜なので完全にダメですね。

画像は相賀駅で撮ったものだそうですが、前述のように撮影が8月なので、6時前なら撮影可能な時間帯になります。

 

でも今、「紀伊」みたいな列車を走らせても面白いかもしれませんね。

 

昭和40年代のブームとはちょっと性格が異なりますが、南紀は観光資源として再認識されていますよね。白浜にある動物園のパンダや熊野古道など、見所は多数あるのに、観光に力を入れているのはJR西日本。それに対してJR東海は南紀観光に興味が無いというか、殆ど無視状態です。鄙びた漁村風景、手つかずの自然など、「日本の原風景」というべき長閑な風景が紀勢本線(紀勢東線)沿線に点在しています。JR東海もそれを観光に活用し、観光列車を運転させれば少しは人気が出ると思うんですけど、新幹線以外興味が無いJR東海には「馬の耳に念仏」「釈迦に説法」なんでしょうね。

 

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1974年1月号、1978年8月号 (日本交通公社 刊)

JR時刻表 2023年3月号

鉄ぶらブックス①「伝説のブルートレイン全列車」

(いずれも交通新聞社 刊)

国鉄機関車 激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)