今から考えたら信じられないことですが、朝の下関駅は夜の鉄路をひた走った夜行列車の到着ラッシュに沸きます。
一部は運転停車で乗客の乗り降りを実施しない列車もありましたが、基本的には全ての列車が停車して、客車列車の場合は機関車を付け替えます。なお、今は知らんけど、貨物列車は幡生操車場で機関車の付け替えを行っていました。
4:36 急行「雲仙・西海」 4:42発 長崎・佐世保行き
4:51 特急「明星5号・あかつき2号」 4:56発 熊本・長崎行き
5:08 特急「なは」 5:14発 西鹿児島行き
5:21 急行「阿蘇」 5:29発 熊本行き
5:48 急行「さんべ3号」 5:54発 博多行き
5:52 特急「あかつき3号・明星6号」 5:58発 佐世保・熊本行き
6:04 特急「彗星3号」 6:07発 大分行き
6:16 急行「くにさき」 6:32発 大分行き
6:52 特急「明星7号」 6:56発 博多行き
7:40 特急「さくら」 7:44発 長崎・佐世保行き
7:54 特急「はやぶさ」 7:58発 西鹿児島行き
8:13 特急「みずほ」 8:17発 熊本・長崎行き
8:38 特急「安芸」 下関止まり
9:05 特急「金星」 9:07発 博多行き
9:09 特急「富士」 9:13発 西鹿児島行き
9:34 特急「あさかぜ1号」 9:38発 博多行き
10:27 特急「あさかぜ2号」 下関止まり
これは昭和53年8月現在における下関駅に到着する下りの夜行列車になります。4時半以前の列車は前述のように運転停車になり、機関車を付け替えて乗客が知らないまま発車していきます。青字で記しているのは583系を使用した電車列車になりますが、「明星(下り1号、下り3号)」や「彗星(下り1号)」は通過していたかもしれませんね。乗務員の交代もあるか。
まぁ、こうやって羅列すると、踵こそ接していないものの、次々と夜行列車が到着しては発車していくというのがお判り(お解り)いただけるかと思いますが、この時代は新幹線は既に博多まで開通していたし、航空機網も発達していたけど、夜行高速路線バスは未開拓だったので、鉄道による夜行移動の需要がまだまだ健在だった時代とリンクします。特に関西対九州はね。
現在は夜行の旅客列車は絶滅し、貨物列車がその痕跡をトレースするかのように走っていますが、牽引する機関車はEH500形が一手に引き受けています。でも、我々の世代は何と言ってもEF30と画像にも写っているEF81 300でしょう。私的には、EF81 300が荷物列車を牽く絵面は「珍しい」というイメージなんですが、EF30とEF81は運用上の制約があったのかどうかは知らんけど(重連運用とそうじゃない運用)、考えてみればEF81 300が荷物列車を牽くというのは別に珍しくも何とも無いです。
写っている302号機は後に福島の内郷機関区に転属して一時期、常磐線で活躍しました。その際、ボディカラーをオリジナルのEF81と同じくしてローズピンクに塗られました。
この画像、いつ撮られたかは判りませんが、ホームに佇んでいる「あさかぜ」を牽引するのがEF65 500であることと、EF81 302がステンレス地のままなので、昭和53年以前の撮影であるのは間違いありません。
写っている「あさかぜ」が下り1号だとその時間帯に荷物列車が設定されていないので、下関止まりの下り2号と仮定すると大阪発東小倉行きの荷2031列車と一瞬、邂逅するので、写っている荷物列車は荷2031列車である可能性があります(荷2031列車は10時23分に下関に到着して10時45分に発車)。
ところで、関門トンネルには今、旅客列車って走っているんですか?
直通できる415系が無くなった昨今、関門間を行き来できる電車は皆無のような気がするんですけど・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
国鉄監修・交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社 刊)
国鉄機関車 激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア(幡生駅、関門トンネル、国鉄415系電車)