ここは東京駅。

今でこそ、「上野東京ライン」ということで東京駅も上野駅も単なる中間駅に成り下がってしまいましたが、昭和国鉄の時代は双方、列車の起終点ということでそれはそれは旅情が溢れていました。

優等列車の合間を縫って普通列車も折り返しては目的地に向かって再び走り出すわけですが、東海道線の電車に限っては「湘南電車」の呼び名の方がしっくりきます。そしてそんな湘南電車に欠かせないのがグリーン車。横須賀線にも連結されていましたが、当時の客層はセレブ系オンリー。会社の役職で言えば部長以上でしょうね。ここだけ空気が違ったそうです。113系になる前の、80系や70系の時代はもっとだと思いますが、鎌倉や逗子、大磯といった格調高いエリアからゆったりとグリーン車で通勤はある種のステイタスと言えたでしょう。

撮影が昭和55年3月ということで、その頃はまだ京阪神快速にも首の皮一枚、グリーン車が連結されていたと思いますが、こちらは「空気が違う」のではなくて、「空気を運んでいた」。つまり、ガラガラだったそうで、同じ東海道本線でも首都圏と関西圏では全く異なります。

 

昭和54年10月、国府津に湘南電車用の車両基地が開設されるのですが、この頃、東海道線東京口の113系は大船電車区(南フナ)と静岡運転所(静シス)に配備されていました。これは翌年の東海道線と横須賀線の分離に際して、車両が増えることを想定、大船では手狭になるということで、当時既に供用されていた国府津の電留線を拡張して現業機関として開設したのが始まり。当時は国府津機関区の一部所で、昭和55年に機関区から独立して国府津運転所(南コツ)としました。さらにその翌年には従来から継続されていた優等列車と普通列車が混同していた湘南方面独特の運用を分離し、田町電車区(南チタ)にも113系が配置されるようになります。因みに横須賀線は55.10改正後、直通運転の絡みで総武線快速の車両も入るため、大船の他に幕張電車区(千マリ)の車両も乗り入れることになります。

 

大船時代、色は違えど湘南電車の車両と横須賀線の車両は、共通運用的に混同させることが多く、スカ色の車両が湘南電車を、湘南色の車両が横須賀線を走るのは珍しくなく、ましてや混色なんてぇのは日常茶飯事。画像も「いつもの光景」と言うことになりましょうか。大阪で言えば、まだ奈良電車区が開設されていない頃の関西本線の車両は阪和線の日根野電車区に配備されていて、日常的に青帯と朱帯の113系の混色が見られたのと同じですね。ただ、青帯の113系とスカイブルーの103系が関西本線に、若草色の101系が阪和線に(営業運転で)入ることは媒体とかでは見た記憶がありません。もしかしたらイレギュラーで実在したかもしれませんけどね。

 

話を湘南電車に戻します。

画像をよく見ると、113系が停車しているのは多分、12番線だと思います。当時の東京駅12、13番線ホームは優等列車専用のホームで、湘南電車は7、8番線を使っていましたが(横須賀線は9、10番線)、ラッシュ時を中心に湘南電車が12番線に入線することもあります。

画像にも写っていますが、10番線と12番線の間には回送列車専用の中線があり、「11番線」と呼称されていました。回送列車だけでなく、ブルートレイン牽引機関車の付け替え、いわゆる「機回し」も11番線を活用していました。

 

以前、このコーナーでも取り上げたことがありますが、停車中の113系がホームと反対側のドアを開けているのは、折り返しの準備をしている関係です。

上り列車が東京駅に着くと、回送列車でない限り、下り列車として次の目的地に向かうわけですが、到着から出発までの僅かな時間を利用して、車内の清掃などを行っていました。一旦、乗降側のドアを閉めて反対側のドアを開けます。係員はゴミ拾いや座席や網棚に置きっぱになった落とし物、忘れ物を確認するほか、行く先方向板を取り替えます。当時はまだ、電動方向幕は使用していませんので、係員が1枚1枚、取り替える作業がここに入ります。11両編成なら22枚、15両編成なら30枚となりますが、到着時にまずホーム側のサボを、次いで反対側のサボを取り替えます。サボの裏面にその列車の行き先があればひっくり返すだけで済むんですが、全く異なればその行く先が入ったサボを携帯しなければなりませんので、重さは倍増します。

そして一連の作業が終了したら、反対側のドアと乗降側のドアの開け閉めを行って乗客が乗り込むことが出来るというフローです。それを毎列車行っていました。

私もリアルタイムでこの作業をずっと眺めていましたが、いつ頃、廃止されたんだろう? やっぱり方向幕を使うようになってからかな?

 

新幹線は別としても、冒頭、お伝えしたように東京駅は中間駅になり、 “華” があった東海道線のホームもすっかり雰囲気が変わってしまいました。横須賀線は地下に潜ってしまい、優等列車も味気なくなり、「サンライズ」だけが孤軍奮闘している感じ。でもやっぱり、東京駅に来ると、「どっかに行きたいな」と駆られるのは私だけではないと思います。

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア(JR東日本国府津車両センター)