国鉄企画には欠かせないその当時の時刻表。

我が家には “当時もの” が数冊あり、最近では節目節目の時刻表が復刻されたりしています。新幹線網が発達していない頃の輸送における主役は勿論、在来線ですが、今では考えられないほどの列車が行き来していました。

 

 

こちらは昭和48年4月号の時刻表になります。つまり、半世紀前の今頃の時刻表。「武蔵野線開通」や「根岸線全通」など、その時代が判る表紙ですが、表紙左下にも注目。国鉄の大ヒットキャンペーンである「ディスカバー・ジャパン」のロゴもさりげなく載っけています。

 

 

中身を少しだけお見せすると、新幹線はまだ東海道と山陽にしかなく、それも岡山まで。さらに列車も「ひかり」と「こだま」だけ。ホントにシンプルな構成でした。今は「のぞみ」が入り、さらに九州から「さくら」と「みずほ」が割って入るので、利用者にとっては「判りにくい」のではないでしょうか。

 

 

山陽新幹線博多全通前、在来線の山陽本線は一大ピークを迎えていました。

「しおじ」「つばめ」「はと」といった昼行特急が通勤列車並みに踵を接して行き来し、そこを掻い潜って「山陽」「玄海」「安芸」といった急行がフォロー、日が暮れれば夜行列車も特急、急行問わず多く設定されていましたので、山陽本線はまさに “不夜城” の様相を呈していました。

 

 

181系は既に撤退してて、特急の主役は485系と583系でしたが、485系も583系もバリバリの若手で働き盛り。ただ、583系に関しては昼夜兼行という使い方が仇になって故障も多かったと聞きますが、東北の使い方よりかはマシかなとは思います。

 

今の山陽本線はただのローカル線です・・・。

 

 

【「つばめ」の画像提供】

ウ様