国鉄時代の列車や車両を取り上げて、 “歴史” の勉強(?)をする「THE JNR LEGEND」ですが、EF58だけは別途、「ザ・ゴハチ」とコーナーを設けて取り上げることにしています。私はEF58に関して、特段、詳しいわけではなく、ましてや世代的にドストライクである、国鉄末期のいわゆる “ゴハチブーム” の頃は全くと言って良いほど眼中になかったので、弊愚ブログでゴハチを別に特集すると決めた時は結構、大変でした。

画像の66号機は既に取り上げ済みですので、通常のコーナーで再度、ご登場願うことにします。

 

よく見ると、旅客専用のEF58が貨物列車を牽引しています。

SLでもC62が貨物列車を牽引した例はあり(このコーナーでも取り上げたことがある)、EF58でも東海道や山陽などの幹線筋では当該機の故障等々による応援など、イレギュラーで見られたかもしれませんが、いやいやいや、ゴハチ全盛の東海道・山陽・東北などの幹線では貨物を牽く余裕などなかったはずですし、わざわざゴハチを引っ張り出さずもEF15、EF60、EF65、EH10といった泣く子も黙る貨物専用機が蔓延っていましたので、カモレにおいてはゴハチが付け入る隙はありません。ただ一つだけ、ゴハチがカモレを牽く姿が日常的に見られた線区がありました。それが今回のテーマです。

 

ではこの画像の撮影地は何処なのか?

単線であるということから、阪和貨物線ではないかと思われます。そう、ゴハチのカモレ牽引を至極普通に見られたのが阪和線だったりします。

平成21年に廃止になった阪和貨物線ですが、線名とは裏腹に阪和線の支線ではなくて関西本線の支線として扱われます。

本来だったら天王寺で接続できる阪和線と関西本線ですが、昭和国鉄の時代は関西本線から阪和線に通じる短絡線がなく、よしんばあったとしても、スイッチバックしないと両線の乗り入れは不可能なため、関西本線八尾駅と阪和線杉本町駅との間に両線をつなぐバイパス線が開業しました。時に昭和27年のこと。

竜華操車場-和歌山操車場間の貨物列車だけでなく、鳳電車区に配属されていた関西本線向けの電車を送り込むための回送線にも使われていたほか、昭和40年~42年までこの線を伝って名古屋-東和歌山(現、和歌山)間を結んだ特急「あすか」の存在も忘れてはなりません。

 

阪和貨物線は杉本町駅の構内から本線と分かれて東に進路を取り、住吉区の我孫子東中学校の脇を掠めて大和川に沿って線路が敷かれていました。平野区瓜破東7丁目辺りから左にカーブを切って北上する形になり、瓜破霊園の脇を掠め、大阪メトロ谷町線の出戸駅の下を通り、一瞬、八尾市に入って再び平野区に入り、加美鞍作2丁目辺りで進路を右にとって関西本線と合流します。現在の久宝寺駅と八尾駅の間に竜華操車場があって、平成9年まではこの竜華操車場が阪和貨物線の終点(路線上は起点)でした。平坦区間も多かったけど、高架区間や築堤区間も多かったそうです。

 

複線旅客化も検討されたようですが(全線単線だが、複線用の用地は確保済みだった)、国鉄の財政悪化や大阪市営地下鉄(→大阪メトロ)谷町線の延長開業、天王寺駅改良に伴って実現した大阪環状線と阪和線の乗り入れなどで旅客化のアイデンティティを失っています。世が世であれば関西空港や泉北ニュータウンへのアクセスも期待されたのでしょうけど、おおさか東線の全線開業でそれも失われました。因みに、阪和貨物線の旅客化は「おおさか東線」計画の中に含まれたりします。

 

 

阪和線の電気機関車は基本的に竜華機関区に配備されて、EF58はEF52の置き換えで配備され始めていました。当初から電車化が進んでいた阪和線において、そこで運用する機関車の主な任務はカモレの牽引にありました。

EF58の他にもED60、ED61、EF15もいましたが、EF15はカモレ専用だったと思いますけど、ED60、ED61、EF58は旅客と貨物の二刀流でした。

EF58 66は昭和49年に下関運転所から竜華機関区に異動していますが、シールドビーム二灯式への改造は昭和52年に実施しています。つまり、画像は昭和49年11月から52年8月の間に撮られたものと推察します。

 

“タラレバ” ですけど、もし阪和貨物線が旅客化されたとしたら、皆さんはどんなアクセスを夢見ますか・・・?

 

 

【画像提供】

タユ様

【参考文献・引用】

EF58 (プレスアイゼンバーン社 刊)

国鉄機関車 激動11年間の記録

EF15×EF58 国鉄電機のスタンダード

(いずれもイカロス出版社 刊)

ウィキペディア(阪和貨物線、かすが)

 

「ザ・ゴハチ」アーカイブス

66号機についてはこちらも。