プレスリリースよると来年度末に、北陸新幹線金沢-敦賀間が開業することが決まったそうで、並行する北陸本線については、同区間をJRから第三セクターの路線に移行すると発表されました。これによって、全通時には350km余りあった北陸本線は、米原-敦賀間わずか46kmの路線となってしまい、このままだと “本線” の看板も下ろしかねないですね。むしろ、湖西線を北陸本線にして山科-敦賀間にすれば、少しは “本線” の名に恥じないのでは? と思ったりします。で、今の米原-敦賀間は「湖東線」にすれば良いと思います。

その湖西線ですが、来年開業50年を迎えます。

 

 

画像は昭和49年7月20日、まさに湖西線の開業式の模様になりますが、湖西線の開業によって関西対北陸の輸送勢力分布図は大きく塗り替えられました。

 

湖西線開業まで関西-北陸間の列車は米原経由で運行していたわけですが、琵琶湖を半周する形で向かっていたため、所要時間の短縮が大きな課題になっていました。以前から比良山地を掠めて堅田や今津といった琵琶湖西岸の湖西地区に鉄道を敷くことは計画されていたわけですが、それを具現化したのは私鉄の江若鉄道でした。現在はバス専業となって江若交通と社名を変えていますが、私が生まれる前日の昭和44年10月31日までは鉄道事業も行っていました。

昨年、東武鉄道のC11形蒸気機関車(C11 123)の出自が江若鉄道のC111だったということで、再度、江若鉄道の名がクローズアップされましたよね。

 

その江若鉄道ですが、大正10年に滋賀県の三井寺下-叡山間が開業し、10年かけて浜大津-近江今津間を開業させていますが、前述のように将来的には国鉄に編入させる意図があったようです。昭和37年から本格的に国鉄が調査し、昭和42年に起工式を行い、昭和44年に江若鉄道が廃止されると、その用地を転用して本格的な工事に着手、7年の歳月をかけて昭和49年に開業しました。ただ、特急や急行といった優等列車は、山陽新幹線博多全通時に合わせた方が得策と、昭和50年3月に湖西線経由に移行しています。50.3以降も米原経由で残存したのは急行「きたぐに」と「ゆのくに」でした。

 

湖西線開通用に用意されたのは113系の寒冷地バージョン、700番代ですが、今もなお「何で115系を投入しなかったの?」と疑問視しています。

簡単に言ってしまえば、湖西線は基本的には全線平坦区間で勾配区間はありません。そのため、勾配用抑速ブレーキ等を搭載している115系の方が製造コストがかかるという理由から、115系よりも比較的リーズナブルな113系を投入したと予想しています。

湖西線は一ローカル線ではあるけど、建設当初から高規格で建設が進み、全線が高架もしくは築堤で構成され、踏切は1ヶ所もありません。また、CTC(列車集中制御装置)を採用しています。但し、琵琶湖から吹き下ろされる湖風や「比良おろし」と呼ばれる局地風には弱いようで、その際は特急列車なんかは米原経由で運行されることもあります。

113系700番代は鋼製車体のため、湖風にやられてすぐにダメになるだろうと思ったんですが、今もなお、湖西線の主力車両として健在です。琵琶湖は淡水湖だそうで、海水と違って塩分濃度が低いから、そこが車両の寿命を延ばしたのかもしれませんね。因みに伊豆急行の2100系「リゾート21」が短命だったのは海風による車体の腐食が深刻だったからです。

 

ご存じのように、湖西線は永原までが直流区間で、次の近江塩津駅は北陸本線との絡みから交流電化になっていました。そのため京都方面からの電車による普通列車は全列車が永原で折り返す運用を長々と続けてきました。当時、湖西線や北陸本線に415系みたいな交直両用の普通用車両は投入されていないので、永原-近江塩津間をスルーする普通列車は気動車が充てられていました。

同様に北陸本線(湖東線)においても田村-坂田間の交直切り替えがボトルネックになって普通列車の増発が見込めないことから、沿線自治体が主導となって「湖西線と北陸本線を直流化しなさい」という陳情を国鉄と民営化後のJR西日本に再三申し入れていました。結果的に平成3年にまず北陸本線の坂田-長浜間を直流化し、新快速の長浜乗り入れが実現。長浜市は元々琵琶湖を中心とした観光地でしたが、直流化及び新快速の乗り入れで大阪や京都といった関西都市部のベッドタウンになり利用客が急増、大きな経済効果をもたらすことになります。そうなるといわゆる滋賀県の湖北地区と福井県敦賀市も「金は少し出しちゃるけん」とJRを煽る形で直流化の推進を強め、JRもそれに応える形で平成18年までに北陸本線の長浜-敦賀間と湖西線の永原-近江塩津間の直流化工事を完成させました。

 

さて、画像の開通式ですが、駅名標に「にし」というひらがなが僅かに見えますので、西大津駅ではないかと思われます。今は大津京駅名を変えていますが、これは「歴史的に見ても大津の中心地はこっちなんだよ」という意思表示で平成20年に改名したもの。ただ、大津京の存在そのものを否定する歴史学者もいたりして、現在もなお、「大津京駅」という駅名に対して違和感を持つ人も少なくないのだとか。

私も子供の頃、滋賀県の県庁所在地は米原(米原町)だと思い込んでおり、大津市だと判った時は「大津って何処?」と疑問を投げかけたことがあります。

 

そういえば私、ずっと湖西線を「こさいせん」と読んでいました。「こせいせん」と読むことを知ったのは中学か高校か・・といった比較的(?)近年のことです。因みに静岡県の湖西市は「こさいし」と読みます。

その「こさいせん」、北陸本線に改められるのはいつのことか・・・?

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア(湖西線、江若鉄道、大津京駅、琵琶湖など)