こないだの関西線に続いて101系をお届けしますが、こちらは ”101系発祥“ の線区である中央線快速。背後の三角屋根から、東京駅であることが判りますよね。でも平成生まれのお子ちゃま鉄道ファンには俄かに信じられないかと思いますが、当時の東京駅の中央線ホームは今のように二重高架にはなっておらず、山手線内回り・京浜東北線北行ホームと並列に設置されていました。側面窓が全開になっているので夏場の撮影になりますが、まだ通勤冷房車も多くなかった時代、夏場はこうやって窓を全開にしていました。
さてこの101系、運行番号末尾のアルファベットが “T” になっているので、豊田電車区(西トタ)配置の車両であるのは判るんですが、よぉ~く見ると、クモハ100は初期ロット車であるのが判ります。まず、テールライトが内バメ式であることと、パンタグラフが旧型国電でお馴染みのPS13(PS13C)を搭載している点が初期ロットである証し。まさに「原型中の原型」と言える姿になります。
画像裏面には編成が記されていました。
↑高尾
クモハ100-4
モハ101-4
サハ100-51
サハ100-209
サハ101-51
モハ100-23
クモハ101-24
クハ100-13
モハ100-56
クモハ101-102
↓東京
101系の旧姓がモハ90系であるというのは皆さんもご存じの事かと思いますが、量産が開始されてからしばらくの間はモハ90系として製造されました。しかしモハ90系だけでなく、この頃は特急型や準急型など、新型電車の登場ラッシュで従来からの2桁による形式称号ではパンクすることが目に見えていたため、昭和34年6月に車両称号規定の改正を実施。基本的には新性能電車は3桁で表記することになりまして、モハ90系は101系を名乗ることになりました。
こちらはモハ90系→101系の新旧番号対照表になります。試作車を含めて294両が改定の対象になりました。
パンタを搭載しないモハ90形0番代の奇数車がモハ101形、パンタを搭載したモハ90形0番代の偶数車がモハ100形、パンタを搭載しないモハ90形500番代の奇数車がクモハ101形、パンタを搭載したモハ90形500番代の偶数車がクモハ100形、サハ98形の奇数車がサハ101形、同偶数車がサハ100形と改称しました。この段階ではクハ101とクハ100は世に出ていませんので、クハの旧称号車は存在しません。
因みに151系がモハ20系、153系がモハ91系を名乗って落成し、155系と157系も旧称号が一応はありましたが、営業運転を開始するときには規定の改正が実施されていたため、155系も157系も新称号でのデビューとなっています。
写っているクモハ100-4はモハ90518として落成した、101系量産の第一陣であることが判ります。
パンタグラフは昭和33年度債務発注車から153系で採用されたPS16を搭載するようになり、昭和35年度製造分からテールライトが外バメ式になりましたが、初期ロット車については外バメ式への改造は実施されませんでした。パンタグラフについては昭和40年代後半からPS16への挿げ替えを実施した模様ですが、後に関西圏に転属した車両については比較的遅くまでPS13装着例が見られました。
昭和50年代になると、さしもの初期ロット車も老朽化の兆しが見え始め、103系冷房車や201系の登場によって廃車が始まりました。その中には武蔵野線用の1000番代や事業用車への改造種車になったものがありますが、クモハ100-4とモハ101-4のユニットはその対象外で、101系のまま、昭和54年に廃車されています。
中央線快速の101系で初採用になったオレンジバーミリオンですが、開発者の奥様が着ていたセーターの色がヒントになったというのは有名な史実ですが、その色具合から「きんぎょ」というニックネームがあったこともお忘れなく。
【画像提供】
ケ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル別冊「国鉄形車両の記録 101系通勤形電車」 (電気車研究会社 刊)