年賀状の元日配達もどうにか無事に終了し、自身的には間違いなく配達した自負はあるんですけど、誤配等の申告が無いことを祈ります。

さて、私が入局した平成2年には既に鉄道による郵便輸送は一部のコンテナ便を除いて全て廃止されていた後でしたが、せっかくなので、鉄道郵便輸送には携わりたかったなという思いはありました。

 

 

画像は郵便専用電車であるクモユ141形。国鉄の所有ではなくて当時の郵政省が所有していた私有車両になります。

郵便・荷物合造車両は国鉄所有になるんですが、全室郵便車は郵政省が所有してました。

その殆どが旅客列車や荷物列車に組み込まれて運用に就いて日本列島津々浦々、駆け抜けていました。

 

鉄道による郵便輸送には「取扱便」と称する輸送方式と「護送便」と称する輸送方式と二通りあり、「取扱便」は鉄道郵便局員が添乗して車内で速達を含めた通常郵便物や書留郵便物を各地域ごとに区分けし、それを郵袋に積めて駅で降ろす。この作業を繰り返しながら列車の終点へ向かいます。「護送便」は局員は添乗せず、郵袋を目的地へ運ぶだけの輸送方式になります。

 

郵便専用車両は客車が圧倒的に多いんですが、電車や気動車にも少数ながら存在しました。

クモユ141は電車の郵便専用車両の代表系列で昭和42年に登場しました。

上越線の客車列車を電車化するにあたって、新たな郵便専用電車が必要となったことから登場した車両なんですが、当時、国鉄籍の荷物専用電車や郵便・荷物合造車両は全車が旧型車両からの改造で賄われていた中で、クモユ141は国鉄も羨むオールニューの新造車で、カルダン駆動の新性能車両では初めての1M方式として特筆されます。この新たなシャシー(?)は後のクモニ143やクモヤ143などに応用され、世が世であれば、そして国鉄の経営状況がそんなに悪くなければ、この足回りを活用して改造ではなくて新造車としての1M方式旅客車両も生まれたかもしれません。

 

主電動機はMT57、主制御器はCS32、主抵抗器はMR91といずれもクモユ141のために開発されたものです。

ジャンパ栓はKE70(KE70-9)に特殊型のKE80を取り付けて様々な車両と互換性を持たせるようにしました。

パンタグラフはPS16を1基、台車はDT21を履きます。

 

もう一つ、クモユ141は当時としては破格のアイテムが盛り込まれていました。それが冷房装置の取り付け。

当時の国鉄車両は優等列車用、しかも特急用車両にしか冷房は取り付けない慣習がありましたが、郵便専用車両、特に取扱便専用車両は特別に冷房装置が取り付けられました。これは手紙やハガキを扱う特殊な作業故に、車内における劣悪且つ過酷な労働実態が背景にありました。

それ以前の郵便専用車両は非冷房だったのですが、夏季ともなれば車内の温度は40度や50度に達しようかというところまで上昇しサウナ状態。局員は上半身裸になって汗だくになりながら区分け作業を行っていました。「だったら、窓を開ければいいじゃん」って思うかもしれませんが、窓を開ければ風が吹き込み、手紙やハガキが飛ばされたりします。また、手紙やハガキが開けた窓から飛んでいきかねません。そのような理由から、空調を採り入れたという次第です。その嚆矢は昭和40年に登場した気動車のキユ25ですが、作業は大幅に改善し、飛散事故も減少しました。後に非冷房で落成した客車のオユ10も冷房化が実施されました。ただ、合造車を含めた郵便車両全体的に見れば、冷房車は少数派で、非冷房の車両が充てられた日には、サウナの中で作業するという過酷な労働は変わりありませんでした。

その冷房装置はAU12Sを載せ、冷房作動用の電動発電機(MH122B-DM76B)を搭載しています。

 

クモユ141は10両が製造され、新製配置は1~5が新前橋電車区(髙シマ)、6~10が宮原電車区(大ミハ)でした。

6~10は昭和43年に増備されたもので、東海道本線の客車列車を電車化する際に登場しました。

画像は宮原時代のもので、475系が写っていることから撮影地は大阪駅でしょうかねぇ~。

53.10改正で信越本線の客車列車が電車化され、クモニ143が新製されますが、クモユ141は増備せず、宮原から6~10が長野運転所(長ナノ)に転入してきます。長野配置に際していくつか改造箇所がありました。

まずは横軽対策と耐寒耐雪装備の追加。当然と言えば当然なんですが、これなくしては信越本線は走れません。それから篠ノ井線や中央本線も走ることから、パンタグラフをPS23に換装、ジャンパ栓もKE76へ換装し両渡りとしました。

 

57.11改正で信越本線や上越線に残っていた客車列車を電車化するにあたって、新たに郵便専用車両が必要となり、クモユ141を増備する計画を立てますが、この段階でクモユ141の設計は旧態化していたことから、クモニ143をベースにしたクモユ143が新造されました。しかし、昭和59年2月の改正で荷物列車は大幅に減少し、取扱便は廃止されて護送便のみとなり、昭和61年11月の改正で鉄道郵便は廃止、郵便車両は全廃の憂き目に遭います。国鉄籍のクモニ143やクモユニ143などは旅客用のクモハ123に改造されて新たな働き場所を見つけますが、郵便専用車両は前述のように郵政省の持ち物なので、郵政省が「要らない」と言えばそれまで。結局、全車解体されて現存しません。例外でキユ25は個人所有で1両、オユ10が東京と能登で2両保存されていますが、奇跡と言えば奇跡かもしれませんね。あと、つい最近までクモユニ143がいましたね。

オユ10のうちの1両(2555)は国立にある中央郵政研修所に屋根付きで保存されていますが、その隣にクモユ141を保存して欲しかったですね。

 

郵便の歴史を語る際、外せないのが鉄道郵便輸送ですが、「スーパーレールカーゴ」の郵便版を製造して欲しいと今でも思っています。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.707 (交友社 刊)

鉄道ピクトリアルNo.818

同別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」

(いずれも電気車研究会社 刊)