JR東日本で最後まで残っていた103系は仙石線でした。
首都圏では常磐線快速や京葉線、鶴見線、武蔵野線が最後のステージで、平成17年までに後継車両への置き換えを完了していますが、仙石線ではその後も活躍を続け、平成21年10月を以て運用を離脱し、ここにJR東日本から103系は全て消えてしまいました。
画像は仙石線に103系がやって来た頃の1枚で、今は無き陸前原ノ町電車区(仙リハ)の片隅で運用を待つ103系の姿ということになります。
仙石線に103系がお目見えしたのは昭和54年10月のこと。ですから30年間、 “杜の都” への通勤の足として、また松島や石巻への観光の足として八面六臂の活躍をすることになります。
山手線と京浜東北線のATC化に伴う車両の置き換えで旧来の車両を捻出、一部は豊田電車区(西トタ)の車両を充てますが、それを除いたほぼほぼ全車、蒲田電車区(南カマ)に配置されていた車両が転配対象となり、クモハ103-モハ102-サハ103-クハ103の4両編成で統一していました。
仙石線といえば、 “103系もどき” がいたのを忘れてはなりません。
旧型国電の72・73系の足回りに103系新製冷房車のような車体を被せたシロモノで、「アコモ改造車」と呼ばれていましたよね。でも、実態を知らない仙台の人々は当時、「仙台に103系が来たっ!」と大はしゃぎだったようですが、動かせば旧国独自の吊りかけモーターが唸りを上げるので、そこで初めて「騙されたっ!」と憤慨落胆することになります。後のこの “103系もどき” は、103系の台車やモーターなどに挿げ替えて “本物の103系” となって川越線へと転配されることになりますが、既に103系のような車両がいたことを考えれば、仙石線に投入された “本物の103系” は歓迎されたのでしょうか? 少なくとも、陸前原ノ町電車区のメカニックには歓迎されたようです。旧型国電は故障が頻発していたらしいですからね。
さて、仙石線向けの103系はどうやって仙台に送り込まれたのでしょうか?
今は仙石線が地下に潜ってしまい余計にそうなっていますが、昭和国鉄時代の東北本線仙台駅と仙石線仙台駅は線路が繋がっていませんでした。まぁ、東北本線が交流で仙石線が直流だからやむなしなんですが、今のように仙石東北ラインで線路が繋がっていたわけでもありませんし、じゃあ、どうやって仙石線に入線させるのか?
東京から北上した回送列車は、宇都宮までは自力運転をして、宇都宮から先はパンタを下ろしてクモヤ441形に牽引されて東北本線の交流区間に進入、一旦、郡山工場で整備と後述する仙石線向けの改造を行い、整備が終わると再びクモヤ441に牽引されて仙台をスルーして小牛田へ向かいます。クモヤ441の出番はここまでで、小牛田から先はディーゼル機関車が先頭に立ち、石巻線に入って石巻まで行き、仙石線に入線するという方法でした。メンテナンスも郡山工場が受け持っていたので、検査を受ける際の回送経路も石巻線経由になります。
先程少し触れた「仙石線仕様への改造工事」ですが、秋田や青森ほどのドカ雪にはならないものの、やはり仙台は寒冷地です。当然、暖地育ちの103系はそれ仕様にする必要がありますが、本格的な耐寒耐雪装備は設けられませんでした。
主な改造箇所は、
① 前面窓にデフロスタを設置。
② 乗降用ドアの半自動化。
③ タブレット対策で乗務員扉横の戸袋窓を埋設。
④ 添乗員席を設置してワイパーを増設。
がありました。
こうして約半年かけて103系を送り込み、翌年5月までにアコモ改造車を除く旧型車両の置き換えを完了した仙石線。なお、仙石線の103系は旧投入線区のラインカラーであるスカイブルーをそのまま使用し、うぐいす色だったアコモ改造車は程なくしてスカイブルーに塗り替えられ、前述のように、川越線電化開業用に充てることから、昭和59年に常磐線快速から16両が転配させてアコモ改造車を捻出(放出?)、仙石線の103系化が完了しました。この頃、冷房改造も実施されています。また国鉄末期には103系を1M方式に改造、105系となった車両もありましたが、この改造のために武蔵野線で活躍した101系1000番代が一瞬だけ、仙石線を走ったこともありました。
長らくクモハ入りの4両が基本だった仙石線ですが、民営化後、初めて両端がクハという編成も登場し、さらに元ATC仕様車のクハも仙台にやって来ました。私もその高運転台クハ(クハ103-300)に乗ったことがあります。山手線で活躍していた時に見たことがありますので、再会といえば再会になるのかな?
そんな仙石線に現在の主力車両である205系がやって来たのは平成14年。以降、増備が続き、103系を徐々に置き換えていき、冒頭お伝えしたように、平成21年10月まで営業運転が続けられました。
それにしても、仙石線は純な新型車両投入に恵まれませんね。
103系から205系まで全部、首都圏からのお下がりですもんね。
唯一、仙石東北ライン用に投入されたハイブリッド気動車のHB-E210系くらいかな? それも気動車なので、やはり純な新製電車の投入は実施されていません。もっとも、仙石線になる前の宮城電気鉄道時代には自社製造の車両はあったと思いますが、
205系も登場から30年以上が経過しているので、そろそろ後継車両を検討する段階に差し掛かっていると思われます。その時は是非、新車を投入して欲しいですね。E231系やE233系を送り込もうだなんて考えないで欲しいです。
画像の右端に日産スカイラインと三菱ミラージュが見えますが、C2系のスカイライン(ジャパン)は当時の最新型。G1系ミラージュもその頃登場した車ですので、仙台に関しては自動車もまた、新型への置き換え(買い換え)が進んでいたようです。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ファンNo.261(交友社 刊)
鉄道ピクトリアルNo.874(電気車研究会社 刊)
キャンブックス「103系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア(仙石線、仙石東北ライン、JR東日本HB-E210系気動車など)