昭和57年11月の改正では、東北・上信越方面を中心に特急や急行が大幅に整理が実施されたのは前々からお話ししている通りですが、改正後は列車新設や増発関連の関係で大規模な転配も実施されました。

例えば、「とき」に充てていた新潟運転所(新ニイ)の183系1000番代は長野や幕張に転配され、「あずさ」や房総特急の増発に活用されました。この関係で、「あずさ」と「あさま」の共通運用だった長野運転所(長ナノ)の189系は基本的に「あさま」と臨時の「そよかぜ」一筋になります。

例えば長年、グリーン車・食堂車込みの12両編成が主体だった青森運転所(盛アオ)の485系は、「鳥海」と「白鳥」充当分を除いてグリーン車込みの9両編成に変更され、「いなほ」や「はつかり」の増発分に充てました。同様に12両編成を維持した秋田運転区(秋アキ)の485系も9両編成に統一し、捻出した車両で6両編成を組成して新設した特急「たざわ」に充当しました。

例えば、「ひばり」の全廃で485系が宙ぶらりんになった仙台運転所(仙セン)は「ひたち」のみを受け持つことになりますが(「あいづ」は秋田へ移管)、「ひたち」だけの運用なので当然、余剰が生じます。そこで一部の車両を九州は南福岡電車区(門ミフ)に転属させて、「かもめ」「みどり」の増発分に充てることにしました。「みどり」はどうしてもクロ481が必要となりますが、秋田へ移管した「あいづ」や「ひたち」はこの改正からサロ481に置き換えてクロを捻出しました。

 

 

意外と思われますが、クロ481以外でボンネット型先頭車が南福岡に配置されるのはこの改正が初めてだったりします。

九州でも「有明」や「にちりん」がボンネットのクハ481を先頭にした例は数多ありますが、あれは鹿児島運転所(鹿カコ)の受け持ち列車。南福岡のクハ481は基本的に正面貫通型の200番代だったので、ボンネット型、しかも東北のクハらしく、前照灯上に “まゆ毛( “ヒゲ” と呼称する人もいますよね)” を残したまま運用に就いた車両もあったので、九州の鉄ヲタにしてみれば、新鮮味が溢れたのではないでしょうか。もっとも、50.3改正以前にも “まゆ毛” 付きのクハが九州に乗り入れていたので、まぁ、久しぶりってとこでしょうけど。

 

ところでこの画像なんですが、画像提供様によると、撮影は昭和51年8月だということなんです。確かに長崎本線と佐世保線が電化されて「かもめ」と「みどり」が電車化されたのは同年7月からですけど、昭和51年当時、南福岡にボンネット型先頭車はクロ481を除いて在籍していませんでした。だから、「昭和51年撮影」というのは正直、有り得ないかなと。あと、スカート上にタイフォンが装備されているので、最初は100番代かなって思ったんですが、100番代については最初から配置がありません。だから100番代説は消えます。東北向けにスカートに取り付けられていたタイフォンがスカート上に移設された車両がありますので、それだとは思うんですが、それでも「昭和51年撮影説」には違和感があります。もっとも、写っている車両がクハ481ではなくて、クロ481だとしたら話は別なんですが、よく見るとね、側面窓の数が9個あるんですよ。ボンネット型クハの側面窓は7つでクロ481は9つ。んっ!? ってことはこれはクロ481? でも、「みどり」ならいざ知らず、「かもめ」でクロ481を組成するかぁ~? でも、子供の頃に持ってたブルートレインの本に、「さくら」とすれ違うボンネット型クハの「かもめ」が写っていたのを記憶していますが、その時のクハは “まゆ毛” 無しの車両だったのも覚えています。あれはクロだったのか、鹿児島からの一時借り入れ車両だったのかは判りませんが、イレギュラーでボンネットクハが「かもめ」に組み入れられていたと考えても良いかもしれませんね。

 

あと考えられるのは、クロ481を普通車に格下げしたクハ481 600番代の存在。

昭和58年にクロ481から3両が改造されましたが(うち1両は程なくしてクロ481に復帰)、それ説もありますよね。改造の際に “まゆ毛” が残されたのかどうかは定かではありませんが、提供して頂いた写真にケチをつけるつもりは1ミリもないけど、謎が謎呼ぶボンネットクハの「かもめ」でした。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.262 (交友社 刊)

鉄道ピクトリアルNo.897

同No.898付録「485系車歴表CD-ROM」

(いずれも電気車研究会社 刊)

季刊 j train Vol.12 (イカロス出版社 刊)