このコーナーでは40年前の57.11改正に伴って、消えていった列車や車両をシリーズでお届けしましたが、消えていくものがあれば、新たに登場するのもあります。今回からはそんな、57.11改正を機に運転を開始した列車や車両をいくつかお届けしようかと思います。

 

 

57.11改正まで上越線・羽越線経由で秋田や青森を結んでいた「いなほ」が新幹線に接続する羽越線特急として再出発しましたが、中には乗り換えを嫌う乗客もいまして、その救済策として1本だけ上野発着が残存しました。その列車に「鳥海」の名を与えました。

 

「鳥海」といえば、その改正まで経由地は同じで秋田まで行っていた夜行急行でしたが、その列車が特急に格上げされて「出羽」となり、「鳥海」の名は前述のように「いなほ」の上野残存分を改称したものになります。

私はどっちかというと、客車急行時代の「鳥海」の方が印象が強く、電車特急時代の「鳥海」は馴染みが薄いです。それでも食堂車込みの12両編成は、東北特急の灯を消さない意地みたいなのを感じ取りました。でも、そんな栄華は長続きせず、上越新幹線が上野まで開業した60.3改正で敢えなく廃止されてしまいます。2年半しか運転されなかったので「印象が薄い」というのも解らなくは無いかなと。

 

その5年半後、今度は山形新幹線建設に際して奥羽本線が改軌されるんですが、それに絡んで陸羽西線経由になった寝台特急「あけぼの」の1往復を羽越線経由に変更して「鳥海」に改称します。8年ぶりに “夜行鳥海” が復活するのですが、こちらも薄幸で平成9年に陸羽西線を追われた「あけぼの」が上越・羽越線経由に変更となり、「鳥海」の名は消えることになります。

 

「鳥海」の隣に佇むのは185系200番代の「新幹線リレー号」。大宮暫定開業時に上野と大宮を結んでいた連絡列車で、新幹線の乗車券が無いと乗れない列車でした。60.3改正で東北・上越新幹線が上野まで開業するとその役目を終えて運転を終了し、185系200番代は上州方面の特急に専念するようになったほか、一部が田町電車区に転属して「踊り子」に充当されるようになります。

 

昨今、185系200番代がオリジナルカラー、いわゆる「グリーンベルト」色に塗り直されたそうですが、私に言わせれば「遅い」。

185系0番代が「ストライプカラー」に戻されていた時、200番代も「グリーンベルト」に戻すべきだと弊愚ブログで私論を展開したことがありましたが、結果的に185系は200番代も含めて「ストライプカラー」に統一されてしまいましたよね。で、いつだったか、「新幹線リレー号」の復刻運転が行われた際、185系のストライプカラーが宛がわれたわけですが、この時に「グリーンベルト」を復活させるべきだったんです。明らかに「新幹線リレー号」にストライプカラーは似合わない。だから「何を今更・・」的に、ただ失笑するだけでした。

 

「鳥海」と「新幹線リレー号」の組み合わせは僅か2年半のみというレアな絵面になります。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

日本鉄道旅行歴史地図帳第2号「東北」