上越新幹線が開通した昭和57年11月の改正では、上野発着の優等列車を中心に大規模な整理が行われ、新幹線の影響をあまり受けない信越線の「あさま」や常磐線の「ひたち」を除いた東北・上越方面の在来線特急は一部を除いて悉く姿を消しましたが、その "一部" が今回の主役。57.11改正でも60.3改正でも、そして国鉄最後のダイヤ改正である61.11改正でも全く動じなかった特急が「あいづ」です。

 

 

1日1往復しか運転されていないのと、会津という目立たない地域へ行くせいか、「はつかり」や「ひばり」などの影に隠れた目立たない特急で、誰もが東北新幹線開業時には姿を消すものと思われていました。しかし前述のように、ダイヤ改正の度に主役級の列車は次々に廃止されていく中、「あいづ」は民営化後も生き残り、気がつけば上野駅発着の「最後の東北特急」となり、主役に躍り出ます。21世紀になって廃止されたり復活したり、快速に格下げになったかと思ったらを特急に返り咲いたりを繰り返しますが、東北本線電車特急の歴史を語る際には絶対に外せない列車になります。

 

「あいづ」は仙台運転所(仙セン)の管轄で、「ひたち」と共通運用になります。当時の「ひたち」にクロ481込みの9両編成が存在しましたが、それは「あいづ」が絡んでいるから。磐越西線でのホームの長さが9両がリミットだったので、別途「あいづ」用の編成を仕立てる必要がありました。

53.10改正までは食堂車も連結されていました。

 

 

これは昭和55年12月現在の「あいづ」の時刻表になります。

まださいたま新都心駅も土呂駅も無い時代ですが、特急らしく、主要駅のみの停車で気分良いですよね。

東那須野駅が今の那須塩原駅で、磐城西郷駅は今の新白河駅になります。新幹線開業の際に改名しました。

とは言うものの、磐越西線の主役は急行「ばんだい」で、「あいづ」を上回る6往復(うち1本は夜行)が設定されており、「あいづ」には設定されていなかった喜多方行きもありました。

 

「主役ばかりでは映画やドラマは成立しない、脇役がいて初めて作品として成り立つ」

「エースで4番ばかりだと野球はつまらない、1~9番までが各々の役割をこなすことで勝てる試合が出来る」

 

この言葉は鉄道の世界にも当てはまるようです。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

時刻表1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第2号「東北」 (新潮社 刊)