皆さんは列車名としての 「しおかぜ」 と聞いて、何を連想しますか?

おそらく、ほぼほぼ100%の方が四国の特急を思い浮かべるのではないかと思います。

列車名としての 「しおかぜ」 は四国特急が最初かと思いきや、実は四国の 「しおかぜ」 が登場する前に山陽本線を走っていた特急が多分、最初じゃないかと思います。

 「つばめ」 「はと」 「しおじ」 といった名だたるスター列車に隠れていましたが、新幹線に接続する山陽特急の一員として活躍していた時代がありました。

 

 

東海道新幹線が開業した1年後の昭和40年10月のダイヤ改正で、 「しおかぜ」 は登場しました。

暫定的に181系を使用していた 「つばめ」 と 「はと」 が481系に置き換えられまして、余剰となった181系を活用したものです。

運転区間は新大阪-広島間で、2往復が設定されました。

しかし、この区間は完全に 「しおじ」 とバッティングしてしまうだけでなく、愛称が 「しおじ」 と似ていて紛らわしいという理由で、昭和43年10月の改正で 「しおじ」 に統合されて廃止されてしまいます。運転時期は僅か3年という儚いものでした。

 

【下り】

1001M 「第1しおかぜ」 新大阪   9:30→広島 13:56

1007M 「第2しおかぜ」 新大阪 17:30→広島 22:00

【上り】

1008M 「第1しおかぜ」 広島  8:05→新大阪 12:40

1002M 「第2しおかぜ」 広島 16:10→新大阪 20:40

 

前述のように、使用車両は田町電車区から向日町運転所に転属した181系ですが、東海道151系時代の編成をそのまま継承した12両編成で、撮影時期によっては先頭はクロ181かクロハ181かになります。あまりにも “高嶺の花” 過ぎて、東海道時代でも乗車率はそれほどではなかったパーラーカー。山陽ではもっと乗車率が低くなります。そこで、 「区分室」 と呼ばれるコンパートメントの部分を残し、 「開放室」 と呼ばれる1人掛け座席部分を撤去して2人掛けの普通座席に差し替えて普通車 (二等車) とし、クロハ181となりました。

43.10以降は485系や583系が大量に増備されまして、181系の活躍場所は狭められる一方。クロハはクハに改造されてしまい、かつて、客車特急を駆逐した王者の風格は消え失せ、凋落の一途を辿ることになります。昭和48年5月に最後まで残っていた 「しおじ」 が485系に置き換えられて、山陽路の181系は消滅。長野や新潟へ転属して余生を過ごしますが、50.3改正時に旧151系からの改造車は基本的に全廃、旧161系からの改造車と新製車が残ることになりました。

 

ところで撮影地なんですけど、これ、新大阪駅ですよね。

多分、向日町から回送されてきたのを撮影したと思うんですが、線路際の野っ原は現在の東淀川区西淡路1丁目。今は住宅地になっていてこの野っ原は完全に消えてしまいました。

 

まぁ、いずれにしても181系電車時代の 「しおかぜ」 は貴重であることに変わりはありません。

そういえば、房総地区で夏季のみに運転される臨時急行で漢字書きの 「汐風」 がありましたが、特急 「しおかぜ」 とどっちが先だ?

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.765、766 (いずれも電気車研究会社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第9号 「大阪」 (新潮社 刊)