如何にも “昭和名鉄” を思わせる絵面です。

今の名鉄はカラフルになったと言いますか、何気にバタ臭いんですが、 “昭和名鉄” の時代は右を見ても左を見ても赤一色。稀にキハ8000が国鉄特急 (気動車急行か?) に合わせたカラーになっていますが、それを除けばスカーレット天国でした。

2021年は7000系 「パノラマカー」 が還暦ということで、名古屋周辺は祝賀ムードかと思いきや、あまり騒がれないですね。

7000系については以前にもお伝えしたことがありますのでここでは割愛しますが、隣に佇む卵形の電車、5000系でしたっけ? 勿論、今の5000系とは違います。

 

5000系は1955年に登場した、名鉄初の高性能電車です。

改良型の5200系、そして初の大衆冷房車である5500系、5000、5200系の電装品を流用して5700系と同じ車体を載せた5300系と合わせて一大ファミリーを形成した5000系グループですが、後に 「日車タイプ」 と呼ばれるようになる卵形の車体は長野電鉄の2000系を皮切りに地方私鉄で一時期流行りましたし、貫通扉が付いた5200系のパノラミックウィンドウは、国鉄153系に多大な影響を与えました。そして5500系が登場しなかったら、通勤冷房がどうなっていたかと言われるほど、その功績は大きく、主力の期間は短かったものの、インパクトは残しました。

5000系は1986年までに、5200系は1987年までにそれぞれ全廃されていますが、5200系は豊橋鉄道に移籍して1900系として活躍しました。

 

画像は1983年に撮影されたものだそうで、5000系晩年の姿になります。7000系との組み合わせは、まさに新旧特急用車両というビジュアルになります。といっても、7000系は純然たる 「特急専用車両」 じゃないんですよね。

 

ところでこの画像、名鉄フリークなら瞬殺の如く判ろうかと思いますが、今の名鉄岐阜駅で撮ったものです。当時は 「新岐阜」 と称していましたよね。そして名鉄名古屋駅は 「新名古屋」 だったのも覚えています。どちらも2005年に改称されています。豊橋駅も 「新豊橋」 だった記憶があるんですが、それは記憶違いで、名鉄の豊橋駅は最初から豊橋でした (注:開業時の1927年から1943年までは 「吉田」 という駅名だった) 。

新豊橋駅は豊橋鉄道でしたね。

 

あと、名鉄独自の列車種別に 「高速」 というのがあったのを覚えている方もいるかと思いますが、5000系も7000系も 「高速」 に充当されていました。

1977年から登場した 「高速」 ですが、停車駅は特急とさほど変わりは無く、早い話が座席指定か否かで 「特急」 「高速」 に振り分けられます。オール自由席の特急は 「高速」 になります。

「高速」 が設定される前から名鉄特急には座席指定制の特急 (通称: 「座席指定特急」 ) と特別料金を徴収しない特急 (同: 「一般特急」 ) とが走っていましたが、徐々に座席指定特急が増え始め、乗客が誤乗車するトラブルが相次いだため、特別料金を徴収しない特急を 「高速」 と呼んで判別することによって、一応の決着を見ました。

前述のように7000系や7500系も使われましたが、3400系や5000系、5200系といった第一線を離れた “墜ち武者” 的な車両も使われました。また、本線ばかりでなく支線にも進出しましたが、1982年には支線や区間運転の列車については徐々に急行に格下げされ、 「高速」 は本線のみの運転になりました。

そして1990年、座席指定の特急は指定席車と一般席車を混ぜて運転されることになり、 「高速」 は再び特急に統合されて姿を消します。

 

名鉄はあまり縁が無いので興味も薄いのですが、調べると意外に面白いことが発見できますね。

因みに、いただいたこの画像はガブリと噛んだりはしません。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

日本鉄道旅行地図帳第7号 「東海」

日本鉄道旅行歴史地図帳第7号 「東海」

(いずれも新潮社 刊)

ウィキペディア (名鉄5000系電車、名鉄特急)