所有事業者:関東鉄道 (茨城)
仕様・用途:観光貸切仕様
登録番号:土浦22 あ 1041
社番:1405号車
初年度登録:1988年
シャシー製造:三菱自動車工業
搭載エンジン:三菱8DC9型
車体架装:新呉羽自工
車両型式:P-MS725S改
車名:三菱ふそうエアロクィーン・KⅡ
撮影日:1989年7月25日 (火曜日)
撮影場所:那須・りんどう湖ファミリー牧場
このバスのボディカラーを見て、 「このバスは関東鉄道の貸切車なんだよ」 って説いても誰も信じないでしょうね。でもね、これは紛れもなく関鉄の貸切車なんですよ。そして、誰が見てもこの車はエアロクィーン・Kのように見えるんですが、決して間違いじゃありません。でも、このモデルは通常のエアロクィーン・Kよりも車高が150mmほど低い、 「エアロクィーン・KⅡ」 と呼ばれるモデルです。何のためにわざわざ車高をたかだか15cm低くしたモデルをラインナップに加えたのか、その意図はよく判りませんが (解りませんが) 、調べてみると、乗車定員の確保からだそうで、車高を15cm下げることで軽量化を図り、その分、乗車定員を増やせるという思惑から生まれた産物です。
エアロクィーン・KⅡは1987年からラインナップに加わり、1990年の平成元年排ガス規制適合 (識別記号:U) によるマイナーチェンジでも継続販売されましたが、エンジンはエアロクィーン・Mでお馴染みの8DC11型を搭載して、それによって今までエアロバス・ハイデッカの改造車扱いだったのが、名実ともにエアロクィーンの仲間入りを果たしたことになります。おそらく、1992年のフルモデルチェンジまで生産は継続されたんでしょうね。
通常のエアロクィーン・Kとの識別点は、いわゆる 「Aピラー」 の太さ。KⅡの方が太いんです。まぁ、これは軽量化の見返りにボディ剛性を強くしたかったための措置ではないかと思われます。
さて、画像の関東鉄道車ですが、1988年式ということは、エアロクィーン登場に伴う最初のマイナーチェンジよりも前のモデルかなと思います。その辺が微妙なところですけど、当初は下館営業所に配置されていたそうです。そして後に水海道営業所に移って、茨城県下にあるお嬢様学校の送迎仕様として余生を過ごしたそうです。営業所を示す 「SD」 とか 「MT」 とかは記されていませんが、撮影年が1989年なので、下館時代かなとは思います。
関東鉄道の貸切事業は、1998年に分社化の上、系列会社の日本水郷観光自動車や日本観光バスのバス事業と合併した上で関鉄観光バスとして再出発しています。また、当時在籍してたであろう下館営業所 (下館営業センター) は2014年5月に廃止、そして後に配置換えされたであろう水海道営業所 (水海道営業センター) は2019年4月に下妻に移転しています。
この頃の三菱ふそうは、7種類ものスーパーハイデッカーをラインナップしており、スーパーエアロタイプⅠに始まって、運転席や乗降口から高床にしたスーパーエアロタイプⅡ、後輪二軸のエアロクィーン (後のエアロクィーン・W) 、二階建てエアロキングと同じ外面を持つ、呉羽車体のエアロクィーン・K、俗に 「パンダエアロ」 と呼ばれる、三菱スーパーハイデッカーの本命モデルであるエアロクィーン・M、エアロクィーン・Kの名古屋ボディバージョンと言うべき、エアロクィーン・MV、そしてこのエアロクィーン・KⅡ。スーパーエアロタイプⅡにはさらに全高を7cm高くしたスーパーエアロタイプⅡ改もあるので、実質は8種類ありました。ユーザー (つまり、バス事業者) は、好みや使用用途に応じて、モデルを選べたのです。この時期に大ブームとなる、夜行高速路線バス仕様には、スーパーエアロタイプⅡやエアロクィーン・Mが、貸切のフラッグシップにはエアロクィーン・MやK、Wなどが選ばれていましたが、今でも私は 「エアロクィーン」 って聞くだけで正座します (勿論、大仰) 。ただ、MS8以降のエアロクィーンは、MS7やMU5ほどの威厳はなく、加えてスーパーハイデッカーの需要減も手伝って、正座するほどではなくなりましたが、やっぱり根底で思うのは、 「ふそうの隆盛をもう一度」 ということになりましょうか・・・。
【参考文献・引用】
BUSRAMA EXPRESS No.10 「三菱ふそうエアロクィーン&エアロエース」 (ぽると出版社 刊)
観光バスのページ
ウィキペディア (関東鉄道、関鉄観光バス)