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日常的な光景ですね・・・というか、日常的な光景だったんです。
今は東海道本線のホームといえど、4つ扉の通勤電車が次々に発着していることを考えると、この時代の東京駅9~12番線ホームは如何に異次元の世界だったか想像に難しくないのかなと思います。
「はやぶさ」 が停車している10番線は、元々は横須賀線の電車が出入りしていたホームでしたが、昭和55年10月1日から総武線快速と相互直通運転すべく地下駅に潜ってしまったため、このホームにも東海道線の普通列車が入線するようになりました。また同日、東北・上越新幹線用のホームを設置するためにまず、13番線を使用停止し、基本的に東京駅発着の寝台特急は9、10番線に発着するようになり、当時のお子ちゃま鉄道ファンの憧れだった当時の第6ホーム (12、13番線ホーム) は寂れてしまいました。

EF66がブルートレインを牽いていますので、普通に考えて国鉄末期、昭和60~62年の間に撮ったものと思われます。
この当時、 「はやぶさ」 が東京駅に10時30分に到着しています。12番線の 「踊り子」 は10時30分発の 「踊り子7号」 か、11時発の 「踊り子9号」 のいずれかだと思いますが、両列車とも臨時列車ですし、ホームにはお子ちゃまカメラマンがちらほら見受けられますので、土曜日か日曜日であるというのも判ります。 「はやぶさ」 が到着したのと同時に、 「踊り子7号」 が出発しているという構図かもしれませんし、後続の 「踊り子9号」 が発車待ちをしているのかもしれません ( 「踊り子9号」 の東京駅入線は10時41分) 。ただ、画像をよく見ると、9番線に停車している113系普通電車 (たぶん、10時35分発の沼津行き765M) のグリーン車が見えます。グリーン車は品川寄りの4、5号車に連結されているのは今も昔も変わりありませんが、その位置に 「はやぶさ」 なり 「踊り子」 が佇むのはおかしいです。つまり、この画像は 「はやぶさ」 は到着しているところで、 「踊り子」 は出発しているところではないかと思います。即ち、 「踊り子」 は7号になろうかと。普通なら、ホームの先端に行って、 「はやぶさ」 を撮るんでしょうけど、 「踊り子」 と絡めたかったのかなって心中が窺えます。

そして 「11番線」 と呼ばれる中線も懐かしいですね。
ホームの無い11番線は、基本的に回送列車を入線させたり、ブルートレインの牽引機関車を機回しするための線路で、これも当時のお子ちゃま鉄道ファンにすれば、絶好の撮影ポイントとなります。機回しされる機関車と客車が同時に撮れるチャンスが訪れますが、客車は停まっていても、機関車はそのまま走り去りますので、ほぼワンチャンスの邂逅です。一喜一憂した方も少なくないんじゃないかな。
コアなマニアだと、回送列車を注目します。田町電車区 (当時) から上野駅へ回送する181系や157系電車、品川客車区 (当時) から尾久客車区への回送、東北方面からの荷物列車、富士重工宇都宮工場から送り出された新製の客車や気動車の甲種輸送は、東京駅を経由することも多くて、その際は殆ど11番線を通って各々の目的地へ向かいます。

鉄道ファンにとって “夢の花道” 的存在であった11番線がいつ使用停止になったかは記述がありませんでしたが、おそらく平成3年の北陸新幹線工事にともなう用地確保のため、中央線ホームを高架化する 「重層化工事」 を行った時に撤去したのではないかと思われます。
現在、ここは東北・上越新幹線の20~23番線ホームの用地となっていて、当時の面影は微塵もありません。それを差し引いても、東京駅は年がら年中工事ばかりしていて、どれが “本当の姿” なのか、いつになったら落ち着きを取り戻すのか判らなくなります。

かつての東京駅は優等列車がひっきりなしに発着していた大ターミナルでしたけど、今は単なる中間駅に成り下がり、魅力は激減。旅情をかき立てるのは新幹線ホームだけになってしまいました。
便利になり過ぎて、迷路みたいになっているような気がするのは私だけでしょうか・・・。

【画像提供】
は様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.860 (電気車研究会社 刊)
時刻表 1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)
国鉄監修・交通公社の時刻表 1985年5月号 (日本交通公社 刊)
ウィキペディア (東京駅)