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見るからに 「広重っ! (東海道五十三次) 」 と叫びたくなる構図です。それともなきゃ、富士山が入っているから、 「北斎っ! (富嶽三十六景) 」 でも当てはまるかと思うのですが、いつの時代も絶景であることに変わりはありません。でも、知識の乏しい私は、北斎というといつも今ではソフトバンクのCMでお馴染みの俳優・樋口可南子氏を思い出してしまったりします (樋口氏が映画 「北斎漫画」 で蛸と絡むシーンがあったため) 。
そして、その絶景を背に快走するEF66+白い貨車。最近の若い世代の鉄道ファンには馴染みが薄いかもしれませんが、国鉄貨車の中でもエリート中のエリートとされる10000系になります。

10000系は、昭和41年に登場した高速貨車の総称で、コンテナ車のコキ10000、コキフ10000,有蓋貨車のワキ10000、そして冷蔵車のレサ10000とレムフ10000で構成されます。それまでその都度その都度操車場に立ち寄って、貨車を組み替えて何日もかけて目的地まで走る車扱い列車が主流だった国鉄の貨物輸送ですが、その中にあって、国鉄がほぼほぼ独占していた鮮魚輸送はトラック輸送にシェアを奪われる危機にまで陥っていました。冷蔵技術の進歩によって鮮度は保たれるようになりましたが、それでも車扱いに組み込まれていたレ12000やレム5000等の冷蔵車は、その都度出発まで待たされることになり、築地市場の一角にあった東京市場駅まで2日とか3日とかかかっていたのもあって、トラック輸送に切り替えていくのは自然の理だったりします。このため国鉄では、九州から東京まで真っ直ぐ向かい、しかも途中での荷下ろしはしない専用の列車を仕立てることになり、登場したのがレサ10000とレムフ10000です。

10000系貨車の共通点は、時速100キロで走るために、エアサス仕様のTR230形台車を履き、応荷重式電磁自動ブレーキを採用、連結器は密着自動連結器でブレーキ管や元空気ダメ管といった空気管を併用させたスペシャルな仕様の連結器を搭載していることがあります。牽引する側のEF65FとEF66にも同様の連結器を備えていますので、それだけ、 「10000系御用達機関車」 という図式が判ろうもの。だからといって、他の機関車が10000系を牽引出来ないわけではなく、東北本線ではEF65PFやED75 1000番代が、北海道ではDD51が10000系 (コンテナ車) を牽引しましたが、並型自動連結器を標準装備でした。
密着自動連結器と電磁自動ブレーキを備えたことによって、発進時や停止時の衝動が少なく、荷物に悪影響 (荷崩れなど) を及ぼすことはありません。EF65FとEF66は連動出来ますが、他の機関車は連動作用が出来ないから、通常のブレーキのみで停止させることになるんですかね?

レサ10000は、基本的にはレム5000を伸ばしたような車体になっていまして、レム5000のチャームポイントだった青いラインは省略されています。
全長13,700mm、全幅2,777mm、全高3,656mmで、荷重は24tです。車体中間に仕切りを設け、1区画あたり12t積める構造としました。レム5000は二軸のため、側扉は1箇所ですが、レサ10000は車体が伸びていますので、側扉も2箇所となっています。扉の幅は1.550mmです。
室内の断熱材は120mm厚のガラス綿です。前述のように、中間にパーティションを設けていることから2区画の部屋ということになりますが、片方の区画だけに荷物を積んでもブレーキ性能が損なわれないように、それぞれの台車で個別に応荷重制動が出来る仕組みになっています。

レムフ10000は、レサ10000の車端に車掌室を設けた緩急車です。従来の車掌車では、10000系の高速性能に追いつけないため、専用の緩急車が必要となりました。コキ10000でもコキフ10000が存在しますが、ワキ10000は基本的にコンテナ車と混結使用が前提なため、緩急車は存在しません。レムフ10000でも中間にパーティションを設けて2区画に分けていますが、荷重が16t (8t×2) になっています。
車掌室はコキフ10000のと同一で、台枠にボルトで固定しています。私もつい最近知ったのですが、車掌室って外せるんですね。車掌室内にはトイレも完備していますが、さすがに冷房は取り付けられていません。

10000系の冷蔵車は、全車九州の香椎駅を常備駅として、車両の検査は香椎貨車区が担当していました。そして、幡生-東京市場間の 「とびうお」 と博多港-大阪市場間の 「ぎんりん」 で運行を開始しました。 「とびうお」 の場合は、長崎や西唐津、博多港、戸畑などから数両が幡生に送り込まれ、それを集めて出発するというフローでしたが、九州内ではいわゆる車扱いには組み込まれなかったと推察します。
幡生駅に集められたのち、EF66に牽引されて一路、東京市場まで結ぶのですが、運行開始当初はEF65 (500番代F形) が牽引を担当していました。所定は20両編成なんですけど、EF65Fでは20両を牽引してセノハチを越えることが不可能だったので、前日に7両を姫路まで送り込んで、1日遅れて13両で幡生を出発、姫路でその7両を連結していたという変則的な組成を行っていました。EF66が出来てからは、幡生から20両で組成するようになりました。

東京市場駅は、文字通り、築地市場の一角にあって、汐留駅の新橋寄りから波平さんの毛のようにちょこんと延びていました。現在でも日本郵便銀座郵便局の脇に東京市場線の名残である踏切の警報器が残されています。 「ぎんりん」 の終着駅である大阪市場駅は、昭和59年2月で廃止になっていますが、大阪環状線の野田駅構内に下っていくスロープ状の車道にその痕跡を見ることが出来ます。そして今は 「野田緑道」 となっている部分が、かつて線路があった場所になります。

さて、大阪や東京の魚市場に着いて、魚を積み降ろした貨車は、そのまま九州まで荷を載せずに回送されます。いわゆる 「返空回送」 というやつですが、画像の列車も返空回送ではないかと思われます。

高速道路網の整備とトラック輸送へのシフトによって、さらに減少した国鉄の鮮魚輸送は辛うじて残ったものもコンテナ輸送に切り替えられ、昭和61年3月に 「とびうお」 は廃止されました。レサ10000はそのまま御役御免になりましたが、レムフ10000はコンテナ列車の緩急車として残され、同年11月の改正まで連結されていました。レサもレムフも昭和61年度中に廃車されて形式消滅し、JRには1両も継承されませんでしたが、レサ10117とレムフ10000はJR貨物の東小倉駅に保存された後、レムフ10000は大宮の鉄道博物館に寄贈されて現在でも見ることが出来ます。レサ10117は保存の情報等が記載されていないことから、解体された可能性があります。

戦前と戦後すぐだと 「急行便」 が、昭和30年代はコンテナ特急 「たから」 が国鉄貨物のスター的存在でしたが、この 「とびうお」 「ぎんりん」 を始めとして、10000系登場後は同系で組成された貨物列車がまさしく国鉄貨物の頂点でした。

【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.808 (電気車研究会社 刊)
国鉄&JR保存車大全 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア (国鉄10000系貨車、同レサ10000系貨車、東小倉駅)