
格好良いですね・・・。 (しみじみ)
SL無き後の鉄路のスターはブルートレインでした・・・というのは、弊愚ブログでも事ある度に諄いほど申し上げています。食堂車 (腹巻きの色が白なので識別は容易) が8号車に移されているので、昭和53年1月から牽引機関車がEF65PFに置き換わる同年7月末までの撮影と思われますが、画像の 「富士」 もまだ、西鹿児島 (現、鹿児島中央) まで行ってた時代で、 「日本一の長距離列車」 のレコードホルダーでした。
寝台特急を含めて今も、少なからず需要があるはずの夜行列車。でも、会社間の考え方の違いによって、早くから見切りをつけられていたのも否めず、加えて、一部の非協力的な会社の存在によって (線路と機関士を貸すだけで、経済効果はゼロに等しいのでやむを得ないのですが) 、寿命が短くなってしまった夜行列車 (じゃあ、何でその非協力的な会社が寝台特急の車両を所有しているんでしょうね・・・?) 。しかし、JRの思惑とは裏腹に、 「寝台列車復活論」 が根強く燻っているのも事実であり、きっとそれを望んでいる人は、 「移動時間くらい、横になって寝たい」 と思っている人なんだろうなと察します。実際、私もその中の一人ですから。高速路線バスじゃこうはいきません。
どうしても、ブルートレインの話になると、暗い話題しか出てこないんですが、アラフォー、アラフィフの世代がまだ鼻タレ小僧だった時代は、まさに 「憧れの列車」 でした。私は両親の実家が比較的近距離だったこともあって、寝台特急に縁がなかったのですが、友人から 「ブルートレインに乗ったよ」 という話を聞く度に地団駄踏んで悔しがり、羨ましがりと悲喜交々の子供時代を過ごしました。大人になってようやくブルートレインに乗るチャンスを得るのですが、全盛期のそれとはやはり隔世の感があり、国鉄時代の華やかな佇まいはおとぎ話になっていました。それでも、あの空間は妙な癒やし感があり、言葉では言い表せない感動みたいなのが全身に転移していました。ブルートレインにはそういうものが備わっていたんでしょうね。JR時代でそれだから、国鉄時代はどんな感動が包み込まれていたんでしょう。
「クルーズトレイン」 が彼方此方に姿を見せていますが、きっと大多数の人が 「憧れの列車」 ということで羨望の眼差しで見ているのでしょうけど、残念ながら私はそのような 「羨望」 を見出すことが出来ません。当たり前ですけど、 「クルーズトレイン」 は、ブルートレインよりもケタ二つか三つ違いの豪華さを誇っています。でも、雰囲気というか、旅情というか、そういったものを含めた 「旅の楽しさ」 という点では、ブルートレインの方が遙かに勝っていると感じているのは私だけでしょうか・・・?
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タ様