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80系の正当進化系が153系だとすると、この並びは中長距離用電車の歴史そのもの、変遷を窺い知ることが出来ます。ここに185系が並べば、さらに80系の功績が大きいものにあらためて気づきます。デッキ付き2扉クロスシートのレイアウトは通勤には向きませんが、ウィークエンドにおける中長距離輸送には絶大な効果を発揮します。私は動く80系は残念ながら見たことはないのですが (映像だけね) 、昭和25年の登場当時は最高のクオリティだったんでしょうね。

ところで、153系と80系が並ぶこの光景、どこの駅か判りますか?
最初にこの画像を頂戴した時、ずっと 「どこの駅だろう・・・?」 って思っていました。153系が新快速に投入されたのは昭和47年のことですが、その時、80系は山陽本線岡山・広島口、中央本線 (東、西線) 、信越本線、飯田線、呉線などで運用されていました。岡山だと新快速が当てはまらないし、大阪や京都を中心とした京阪神地区だと、既に80系は113系などの新性能電車に置き換わっています。
背後に高架駅っぽいのが見えますが、あれは新幹線でしょう。それじゃあ、やっぱり京都駅? う~ん、京都駅にも (雰囲気が) 似てなくもないんですが、その時、 「!」 とある駅を思い出しました。新快速と80系と新幹線の高架駅が1つの画像として収まる駅が一つだけありました。この駅、もしかして姫路駅じゃありませんか? 岡山電車区 (岡オカ) の80系は、山陽本線岡山口だけでなく赤穂線にも乗り入れていました (宇野線もかな?) 。ですから、画像の80系は赤穂線の列車じゃないかと思われます。当時、姫路には機関区と客貨車区 (姫路客貨車区~大ヒメ)がありましたので、80系の片隅に客車が見えるのも頷けます。
京都-西明石間の運転で始まった新快速は、153系が投入された昭和47年3月改正で姫路まで運転距離が延びていますので、姫路で撮影された可能性は極めて高いのかなと思います。因みに、相生駅は赤穂線の路線上の起終点になり、新幹線も停まりますが、新快速が153系で運用されていた時代は、相生や播州赤穂までは行っていない筈なので、この段階で 「ハイッ!消えたぁっ! (愛川欽也風に) 」 になります (新快速の播州赤穂乗り入れは平成17年から) 。ですからやはり、姫路説が濃厚かと。

それにしても重ね重ね、153系の新快速は格好良いですね・・・。逆に 「関西急電色」 は80系には似合うけど、153系には合わないかもしれません。それだけに、国鉄のデザイナーのセンスが光る色彩のような気がします。

【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.743 (電気車研究会社 刊)
キャンブックス 「関西新快速物語」 (JTBパブリッシング社 刊)