
名古屋鉄道の新旧名車の揃い踏みであります。
名鉄といえば、運転士だけに許された運転台目線の車窓を乗客に提供した前面展望車の 「パノラマカー」 を世に送り出したことでも知られていますが、さらにその上をいく 「パノラマデラックス」 を1984年に新造しました。
「パノデラ」 の特筆すべき点は、日本で初めての高床式 (ハイデッカー) 構造の展望席を設けたことで、7000、7500形 「パノラマカー」 は、運転台を二階に上げて展望室のスペースを拵えましたが、 「パノラマデラックス」 は、運転台よりも座席が上にあるということで、大きな話題となりました。リゾート列車の草分け的存在である伊豆急2100系 (リゾート21) もこの影響を多分に受けて設計されたものと思われます。国鉄の 「アルファコンチネンタルエクスプレス」 も然りで、ハイデッカー構造の先頭車は当時、鉄道車両のトレンドになってましたね。
8800形は2編成4両が製作されて (後に1両増結されて3両編成となる) 、1本を通常の定期列車に組み込んで使用し、もう1本を貸し切り用としました。
“特等席” とも言える先頭車の展望席は4席×3列=12席設けられ、座席配置も平行にするのではなく、工法になるにしたがって、微妙ではありますが、1段ずつ高くなっています。いわゆる “シアターレイアウト” を採用しています。
展望席の後方には、2人用、4人用、6人用のコンパートメントとなっていて、透明のパーティションで仕切られています。
足回りは、7000形の廃車発生品を移植して使用しており、完全なるオールニューの新車でないことが判ります。
この後、さらに2両×2本=4両が追加増備されて、結果的に8両が製造されました。増備車 (2次車) は、シートピッチを些か狭くして展望席を1次車の3列から5列として、展望席の門戸を少しばかり拡げたのが大きな特徴で、区分室は6人用を廃止して、2人用と4人用に統一。その際に、4人用の区分室を1室増加させました。
1987年に中間車1両を増備して組み込みましたが、海側には区分室、山側には360度回転の1人掛け座席を9席配置しました。また、床面を高くさせてハイデッキ構造とし、定員10人のラウンジも設けました。サ8857は試験的に衛星放送受信装置を設けました。
1984年12月15日に営業運転を開始した “パノデラ” ですが、一般営業は、新名古屋 (→名鉄名古屋) を拠点に、内海-犬山間を結ぶ特急に使用されていました。
従来の特急料金 (白帯車のこと?) は250円でしたが、 「パノデラ」 の特急料金は500円と2倍に跳ね上がっていました。しかし、人気はうなぎ登りで、連日盛況ぶりだったと聞きます。
観光需要が減ると、観光用の車両も一般営業用に就くことになり、1992年のダイヤ改正で 「パノデラ」 の運用体系が大幅に変更されることになります。これに伴って、中間車の区分室は通常の座席配置となりました。展望室も増備車は5列でしたけど、1次車に倣って4列に統一されました。
その後、名鉄特急の速度が120km/hになったのを機に、110km/hしか出せない8800形は淘汰の対象となって、2005年に全車が引退しました。
一方、 「なまず」 こと、850形電車ですが、構造上は 「いもむし」 こと、3400形と同一です。ただ、850形と3400形は元々の出自が違うので、言ってみれば 「異母兄弟」 のような間柄であります。
850形と3400形が登場した1937年、世界的に流線型が世界のトレンドになっていて、国鉄のEF55形電気機関車やC55形蒸気機関車、そしてモハ52形電車など、その流行に乗っかった感じで登場しました。愛知電気鉄道 (東部線) の3400形と名岐鉄道 (西部線) の850形も同様の流れに沿った格好で製造されました。
3400形も850形も当初は優等列車に使用されていましたが、後進の優等列車用車両が登場すると、普通用や支線用に宛がわれるようになり、3400形が比較的後年まで使用されたのに対し、850形は新型車両の登場によって次々と退役させられる羽目に陥ります。そして3400形よりも早く、1988年に全車が引退して、形式消滅となります。
画像は 「パノデラ」 デビュー当時と、 「なまず」 の最末期が折り重なった撮影になろうかと思われますが、名鉄ファンにしてみれば、感慨深い絵面なのかなと思ったりします。
【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.286 (交友社 刊)
ウィキペディア (名鉄8800形電車、同850系電車)