事業者名:小田急バス(東京)
仕様・用途:都市間夜行路線仕様(高速「パピヨン」号に充当)
登録番号:練馬22 か 4832
社番:No.6号車
配置:堀ノ内営業所
初年度登録:1988年式
シャシーメーカー:三菱自動車工業
搭載エンジン:三菱8DC9型
ボディ架装:三菱自工名古屋
車両型式:P-MS725SA改
車名:三菱ふそうスーパーエアロタイプⅡ
撮影日:1992年5月4日(月曜日)
撮影場所:新宿駅西口・小田急ハルク前
無知を暴露しますが、小田急の夜行高速路線カラーって、 “こけし” をデザインしてるんですってね。撮りバス歴間もなく30年になろうとしているのに、今の今まで全然知りませんでした。
小田急の高速路線バスは、電鉄直轄のバス事業部 (現、小田急箱根高速バス) がロマンスカーの補助的な役割として1969年に新宿-箱根間に運行を開始したのが最初ですが、夜行便は1988年2月に新宿と秋田を結ぶ 「フローラ」 号が最初だというのは皆さんもご存じのことかと思います。その時に採用されたのがこのボディデザインだったわけですが、秋田に行くからこけしというのも解らなくは無いですが、それを知ったとき、 「じぇ×10」 レベルの驚愕であったのは事実です。
小田急の高速路線バスは、電鉄直轄のバス事業部 (現、小田急箱根高速バス) がロマンスカーの補助的な役割として1969年に新宿-箱根間に運行を開始したのが最初ですが、夜行便は1988年2月に新宿と秋田を結ぶ 「フローラ」 号が最初だというのは皆さんもご存じのことかと思います。その時に採用されたのがこのボディデザインだったわけですが、秋田に行くからこけしというのも解らなくは無いですが、それを知ったとき、 「じぇ×10」 レベルの驚愕であったのは事実です。
「フローラ」 号の開設時に用意した車は、小田急バスがスーパーエアロタイプⅡ (P-MS725SA改) で、秋田中央交通は日野グランデッカ (P-RU638BB) といすゞスーパークルーザー (P-LV719R) でした。その時の色は赤系でしたが、1989年に運行を開始した広島行きの 「ニューブリーズ」 用の車両として導入したエアロクィーン・M (P-MS729SA) のボディカラーは、 「フローラ」 と同じデザインながらも、 “こけし” の部分を青くし、車体側面がそれまでの 「FLORA」 から 「ODAKYU」 に変更されました。
初めて 「ニューブリーズ」 のエアロクィーン・Mを撮った時、 「あのクィーン・Mは 「ニューブリーズ」 専用車なんだ」 と思い込んでいました。でも、今になって思えば、車両運用の効率化を図るため、共通運用を前提とする仕様にしたんですよね。その後、福山行きの 「エトワール・セト」 や倉敷行きの 「ルミナス」 が相次いで開業しましたが、やはり充当車両は入り乱れていました。なお、緑系の車は、 「エトワール・セト」 開設時に採用されたものと記憶していますけど、赤と緑のエアロクィーン・Mって実は見たことがありません。また、3色が揃った段階で、今後もカラーバリエーションが増えるだろうなっていう期待は見事に裏切られました。
初めて 「ニューブリーズ」 のエアロクィーン・Mを撮った時、 「あのクィーン・Mは 「ニューブリーズ」 専用車なんだ」 と思い込んでいました。でも、今になって思えば、車両運用の効率化を図るため、共通運用を前提とする仕様にしたんですよね。その後、福山行きの 「エトワール・セト」 や倉敷行きの 「ルミナス」 が相次いで開業しましたが、やはり充当車両は入り乱れていました。なお、緑系の車は、 「エトワール・セト」 開設時に採用されたものと記憶していますけど、赤と緑のエアロクィーン・Mって実は見たことがありません。また、3色が揃った段階で、今後もカラーバリエーションが増えるだろうなっていう期待は見事に裏切られました。
さて、画像は 「フローラ」 号専用車と思いきや、こちらは岐阜行き (画像は岐阜から来た便) の 「パピヨン」 号です。
「パピヨン」 はねぇ、深夜に東京を出発して、早朝に東京に来るというダイヤだから、お目にかかりづらい夜行高速路線バスでした。開設当時は昼行便もあったんですが、程なくして廃止されています。今から考えたら、昼行便を狙えば良かったのかもしれないですけど、当時の乏しい知識では、なかなかそういう発想まで結びつきませんでした。
「パピヨン」 の場合、小田急車もそうなんですけど、岐阜バス車の方を見たかったです。
岐阜バスもエアロクィーン・Mを採用していましたが、最後まで観ることはありませんでした。
車体デザインは今とほぼ同じです (蝶の図案が少し違うらしい) 。
「パピヨン」 はねぇ、深夜に東京を出発して、早朝に東京に来るというダイヤだから、お目にかかりづらい夜行高速路線バスでした。開設当時は昼行便もあったんですが、程なくして廃止されています。今から考えたら、昼行便を狙えば良かったのかもしれないですけど、当時の乏しい知識では、なかなかそういう発想まで結びつきませんでした。
「パピヨン」 の場合、小田急車もそうなんですけど、岐阜バス車の方を見たかったです。
岐阜バスもエアロクィーン・Mを採用していましたが、最後まで観ることはありませんでした。
車体デザインは今とほぼ同じです (蝶の図案が少し違うらしい) 。
撮影時、きっと、 「じぇ×15」 レベルの驚愕ぶりだったんだろうなぁ~。
というのも、赤い “こけし” のデザインで、スーパーエアロとくれば、 「フローラ」 以外に有り得ないと思っていたことから、 「何で、 「フローラ」 の車が 「パピヨン」 に充当されるの・・・?」 と、頭の中が錯乱していたものと思われます。
調べてみたら、画像の車はNo.6号車だそうで、元々は 「フローラ」 用だったのか、はたまた 「パピヨン」 開設時に導入された車なのかはハッキリとしていません。
なお、 「フローラ」 で始まった小田急の夜行高速便の第二弾は 「パピヨン」 としていますが、そう記述すれば、きっと 「 「ニューブリーズ」 の方が先じゃないのか」 という指摘が来るでしょう。 「ニューブリーズ」 の開設は1989年3月ですが、私は同年2月に撮りバスをしており、その時に夜な夜な新宿のホテルセンチュリーハイアット (現、ハイアットリージェンシー東京) で 「パピヨン」 を待っていた記憶があるんですね。 「パピヨン」 の正式開設日が何時なのかは判りませんが、おそらく1989年2月に開設されたばかりか、あるいは同年1月、もしかすると1988年12月開設説があったりします。私の記憶が確かならば、 「ニューブリーズ」 よりも 「パピヨン」 の方が先というのがお判りいただけるのかなと思います。曖昧でもあります。
というのも、赤い “こけし” のデザインで、スーパーエアロとくれば、 「フローラ」 以外に有り得ないと思っていたことから、 「何で、 「フローラ」 の車が 「パピヨン」 に充当されるの・・・?」 と、頭の中が錯乱していたものと思われます。
調べてみたら、画像の車はNo.6号車だそうで、元々は 「フローラ」 用だったのか、はたまた 「パピヨン」 開設時に導入された車なのかはハッキリとしていません。
なお、 「フローラ」 で始まった小田急の夜行高速便の第二弾は 「パピヨン」 としていますが、そう記述すれば、きっと 「 「ニューブリーズ」 の方が先じゃないのか」 という指摘が来るでしょう。 「ニューブリーズ」 の開設は1989年3月ですが、私は同年2月に撮りバスをしており、その時に夜な夜な新宿のホテルセンチュリーハイアット (現、ハイアットリージェンシー東京) で 「パピヨン」 を待っていた記憶があるんですね。 「パピヨン」 の正式開設日が何時なのかは判りませんが、おそらく1989年2月に開設されたばかりか、あるいは同年1月、もしかすると1988年12月開設説があったりします。私の記憶が確かならば、 「ニューブリーズ」 よりも 「パピヨン」 の方が先というのがお判りいただけるのかなと思います。曖昧でもあります。
今回は、小田急バスの夜行高速路線バスの歴史を学ぶよりも、あのデザインが “こけし” だったことに驚きを隠せないことの方が重要であるということをご理解下さい。
【参考文献・引用】
ウィキペディア (小田急シティバス、フローラ号、パピヨン号、ニューブリーズ号、エトワール・セト号など)
ウィキペディア (小田急シティバス、フローラ号、パピヨン号、ニューブリーズ号、エトワール・セト号など)