事業者名:富士急行観光(東京)
仕様・用途:高速路線仕様
登録番号:足立230 い 8020
社番:T8020号車
配置:東京営業所
初年度登録:2002年式
シャシーメーカー:日産ディーゼル工業
搭載エンジン:日産ディーゼルRH8F型
ボディ架装:富士重工伊勢崎
ボディ型式:富士重21型M
車両型式:KL-RA552RBN
車名:日産ディーゼルスペースアロー
撮影日:2017年1月14日(土曜日)
撮影場所:富士急行観光東京営業所
※・・敷地外から撮影これ、 「崩れた伝統」 シリーズに組み込んでも良かったんですけど、何で貸切専業の富士急行観光が路線バス、しかも高速路線バス事業に参入したのか・・・? 富士急グループでは、本家本元の富士急行を始めとして、子会社各社で高速路線バスを分担して運行していますけど、やはり、貸切事業だけでは食っていけないから、路線事業にも手を染めたのかもしれませんね。
運行を担当しているのは、画像の車のサボからも判るように、東京駅と河口湖と山中湖を結ぶ便です。元々は、JRバス関東と富士急行 (本家?) が2002年3月から東名高速経由で運行を開始したのが最初で、一時は新木場発着便もありました。そして昨年3月に富士急山梨バスと富士急観光が中央高速経由で東京駅と富士急ハイランドとを結ぶ便を開設し、その2ヶ月後に両便が統合された上、中央高速経由に一本化され、東名経由は廃止されました。ですから、富士急観光の高速路線事業参入はつい最近の事だったことが判ります。それにしてもね・・・。
私がバス撮りにハマった1980年代後半から既に富士急観光は江戸川区の環七沿いに車庫を構えていました。歴史的には結構古い事業者で、1948年に設立された等当初は平和観光という事業者名でした (後の富士急平和観光になる前の平和観光とは別会社) 。そして1960年に富士急に事業を譲渡し、翌年、富士急行観光と社名を変更しました。
富士急グループとしては、本家もそうですが、系列会社に貸切事業者が多く存在していまして、富士急観光を始めとして、御殿場観光自動車、平和観光 (前述の通り、富士急観光の前身である平和観光とは別会社) がありました。 “二代目” の平和観光は当初から路線事業免許を取得していて、本家の富士急行の路線バス運行を委託していました。
富士急観光も御殿場観光も平和観光も車的には日野が目立っていたような気がします。本家は三菱やいすゞもありましたけど、富士急観光は、当時の標準カラーである 「グリーンベルト」 をベースにしながら上半身を白にしたツートンカラーを採用して異彩を放っていました。だから、同じ緑系でもすぐに富士急行観光だと判りましたけど、撮る機会には恵まれませんでした。自宅から至近に車庫があるにもかかわらず、当時の偏屈な拘り (三菱ばかり撮っていて、他社のバスは撮らなかったから) 、撮りに行こうという考えは無かったからだと思われます。気がついたら、他の富士急グループと同じく、白系の 「リゾートウィンド」 カラーに統一されてしまって、さらに魅力が半減してしまいました。
富士急グループとしては、本家もそうですが、系列会社に貸切事業者が多く存在していまして、富士急観光を始めとして、御殿場観光自動車、平和観光 (前述の通り、富士急観光の前身である平和観光とは別会社) がありました。 “二代目” の平和観光は当初から路線事業免許を取得していて、本家の富士急行の路線バス運行を委託していました。
富士急観光も御殿場観光も平和観光も車的には日野が目立っていたような気がします。本家は三菱やいすゞもありましたけど、富士急観光は、当時の標準カラーである 「グリーンベルト」 をベースにしながら上半身を白にしたツートンカラーを採用して異彩を放っていました。だから、同じ緑系でもすぐに富士急行観光だと判りましたけど、撮る機会には恵まれませんでした。自宅から至近に車庫があるにもかかわらず、当時の偏屈な拘り (三菱ばかり撮っていて、他社のバスは撮らなかったから) 、撮りに行こうという考えは無かったからだと思われます。気がついたら、他の富士急グループと同じく、白系の 「リゾートウィンド」 カラーに統一されてしまって、さらに魅力が半減してしまいました。
さて、画像の車ですが、富士急観光のプロパー車ではなく、元はフジエクスプレスの東京営業所にいたT8204号車だそうです。昨年の高速路線事業参入とともに転籍したものと思われますが、社番が8020号車なので、2000年式だと思って必死に探すも、見当たりません。 「もしかして、富士急以外の事業者から持ってきたものなのか?」 という説も浮上しましたが、社番はいわばそのバスの社内における名前のようなもの。だから改名は好ましくありません。
そして、ボディは今や都市部ではすっかり珍しくなった富士重工の1Mを架装していますけど、富士重工のバスボディ製造撤退が2003年ですので、比較的末期モデルになろうかと思われます。最終期の車がが工場をラインオフしてから14年が経過していますので、地方ではまだまだ働き盛りでしょうけど、都市部では排ガス規制の問題もあることから、早々に絶滅することが予想されます。
そして、ボディは今や都市部ではすっかり珍しくなった富士重工の1Mを架装していますけど、富士重工のバスボディ製造撤退が2003年ですので、比較的末期モデルになろうかと思われます。最終期の車がが工場をラインオフしてから14年が経過していますので、地方ではまだまだ働き盛りでしょうけど、都市部では排ガス規制の問題もあることから、早々に絶滅することが予想されます。
富士急観光の東京営業所 (本社営業所) は江戸川区にありますが、本家の富士急行東京営業所 (現、フジエクスプレスの東京営業所) はかつて、江東区の塩浜にありました (んっ!? 塩浜にあったのは箱根登山の東京営業所だったかな?) 。ここには三菱もいたし、初代のアステローペも在籍していました。でも、最後まで撮りに行くことはありませんでした。そうやって考えると、私の “撮りバス” って結構、ショボいものだったんだなってあらためて実感しました。
【参考文献・引用】
富士急行観光株式会社公式ホームページ
バスラマインターナショナル No.119
BUSRAMA SPECIAL No.11 「UDマークのバス達」
(いずれもぽると出版社 刊)
ヤフーブログ 「続、ロシナンテのど~~らく」
富士急行観光株式会社公式ホームページ
バスラマインターナショナル No.119
BUSRAMA SPECIAL No.11 「UDマークのバス達」
(いずれもぽると出版社 刊)
ヤフーブログ 「続、ロシナンテのど~~らく」