機   番:4号機

新   製:昭和22年6月16日

製   造:日立製作所

製造番号:No.4610

新製配置:沼津機関区

最終配置:浜松機関区

廃   車:昭和55年9月3日 (工事536号による通達)

【廃車時の形態】
パンタグラフ:PS14
前照灯:シールドビーム2灯
尾灯:外バメ式
正面窓:小型+Hゴム支持
正面ヒサシ:小型
デフロスタ:なし
正面手すり:あり
正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈
列車電話:あり
電源車制御装置:なし
元空気ダメ引き通し管:なし
スノープラウ:なし
スノープラウ取り付け台座:なし
ステップ:主台枠前端取り付け
汽笛カバー:なし
常磐線用列車無線:なし
乗務員ドア:FRP
側面ハシゴ:切り欠きタイプ
側面エアフィルター:鎧戸タイプ
側面ナンバープレート:板状タイプ
暖房装置:SG

【改造履歴 (一部) 】
昭和23年 2月 1日~:第一次装備改造 (パンタグラフ取り替えやガーランド型通風器
                  取り付けなど75項目~日立で施工し、6月7日まで実施)
昭和30年 3月24日~:新車体載せ替え (東芝で施工し、5月18日まで実施)
                  新車体時から小窓。
                  旧車体はEF13 1へ移植。
                  入場時に薄緑と濃緑の特別塗装を実施。
昭和33年 6月 3日~:電気式ワイパーの取り付け (2基~6月10日まで、施工は浜松
                  工場) 。
昭和38年 7月27日~:踏み段補強 (8月3日まで、施工は浜松工場) 。
昭和41年 8月 7日~:側面フィルターを鎧戸に改造 (8月19日まで、施工は浜松工場) 。
昭和47年 8月 7日~:全検の際に、避雷器をLS15に換装 (8月19日まで、
                  施工は浜松工場) 。
昭和50年 4月 2日~:車体整備。前面窓のHゴム化、外バメ式尾灯に改造、
                機関士側のワイパーをWP50に換装、側開戸のFRP化、
                  前照灯をシールドビーム二灯化 (4月16日まで、施工は大宮
                  工場) 。

【転配履歴~赤字で記しているのは貸し出し扱い】
昭和23年 7月 7日:高崎第二機関区 (返還時期は未定)
昭和24年 3月30日:浜松機関区
昭和27年 3月29日:高崎第二機関区
昭和29年 8月 7日:長岡第二機関区
昭和29年 8月26日:高崎第二機関区へ返還
昭和29年 9月15日:東京機関区
昭和33年 3月25日:浜松機関区
昭和35年 9月 7日:沼津機関区
昭和35年10月22日:浜松機関区へ返還
昭和54年 8月 6日:第一級休車に指定
昭和55年 7月16日:第二級休車に指定
3号機落成の1ヶ月後に産声を上げた4号機は、他の兄弟機と異なり、製造こそ日立でしたが、新車体載せ替えについては東芝で施工を受けました。
そして4号機を語る上で忘れてはならないのが、試験塗装の実施です。東海道本線全線電化を翌年に控え、茶色の特急用車両を塗り替える案があり、4号機を始めとして、16、18、31号機が試験的に塗り替えられましたが、他の3機は青をベースにした塗装であったのに対し、4号機だけは緑を基調とした派手な塗り分けになりました。しかし、これが逆に決め手となり、いわゆる 「青大将」 塗装が誕生することになるのです。
昭和50年、大宮工場での全検を機に大規模な顔面整形が実施されますが、この時EF58としては初めてのシールドビーム二灯化が行われます。これも試験的に実施され、他機への波及は竜華機関区所属機がメインで実施されるようになりますが、他には浸透せず、浜松機関区所属機は4号機1両のみでした。しかも、通常だとライト周りも青色に塗りますけど、画像をご覧いただいてもお判りのように、ライト周りだけはシルバー (未塗装) で、ある意味、異端機になっています。
ファンの間でもあまり評判の良くなかったシールドビーム二灯化ですが、Hゴム化の前面窓とともに、人気がガタ落ちした一因だったそうです。

イメージ 2

昭和48年6月
中央本線 千種-大曽根間
EF58が中央西線を走る珍しいカット。推測でしかありませんが、EF64に何らかのトラブルがあり、その救援機として牽引にあたっているのではないかと思われます。
(画像提供:ウ様)

イメージ 1

昭和52年8月13日、 「金星51号」 牽引時。
撮影場所は名古屋駅?
(画像提供:へ様)