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「あれっ!? 東京メトロ6000系が黄色くなっている。どっかの会社に転属するの?」 とお思いの “東京メトロファン” の皆さん、答えは “×” です。確かに6000系に似ていますが、残念ながら6000系ではありません。車番からもお判りのように、これは7000系です。
「えっ!! だって、7000系は茶色と白との帯じゃないかっ!」 と憤慨される “東京メトロファン” の方の主張も解らなくはありません。が、しかし、これは紛れもなく “営団地下鉄” の7000系で、これぞ、 “オリジナル” の姿なのです。今の姿しか知らない “東京メトロファン” にはおよそ信じられないかもしれませんが、 “営団地下鉄ファン” にしてみれば、懐かしい腹巻きじゃないかと思います。世の中、好むとか好まざるとか、それぞれの趣味嗜好、拘りがあって、それはそれで良い事なんですけど、個人的には7000系はこの腹巻きでないとアカン思います。
それにしても、通学していた時代はもちろんのこと、通勤でも滅多に有楽町線は使わないですね。そう言ってしまえば、千代田線も半蔵門線も、さらには南北線も副都心線も利用頻度は皆無に等しいんですけどね。ただ、有楽町線に乗る機会は少なくても、西武や東急といった乗り入れ先で10000系や7000系に乗る機会はちょこちょこあったりします。

この腹巻き、黄色に見えますが、建前上はゴールドになります。7000系が6000系に酷似してるのは、6000系が今後の営団地下鉄の標準車両として位置づけられていたため、また、保守や修繕等を千代田線の綾瀬車両工場で行うことから、共通化を図ることも目的とされていました。このため、車体や性能は同一としつつも、さらに改良を重ねたものとし、決して営団が手抜きをして 「千代田線用の車両と同じにしちゃえ」 という気持ちで登場させたのではないことを付記しておきます。
それにしても、6000系と7000系はホントに瓜二つの車両です。 「セドリックとグロリア」 「ウルトラマンとウルトラマンジャック」 と並び称される 「似たもの同士」 の双璧ではないかと子供の頃は感じていました。

副都心線開業によって大きな変貌を遂げた有楽町線ですが、それ以前は目立たない地味な路線でした。
営団地下鉄有楽町線は、1968年に計画の俎上に上がり、都市計画8号線として 「成増及び練馬の各方面より、向原及び池袋の各方面を経由してまた、中村橋方面より目白方面を経由して護国寺、飯田橋、市ヶ谷、永田町、有楽町及び銀座の各方面を経て、明石町方面に至る路線」 として計画されました。その後、1972年の都市交通審議会答申第15号で、成増が起点だったのを保谷に、明石町が終点だったのを湾岸まで延長し、さらに途中で枝分かれして豊洲、東陽町、住吉町、押上を経て、亀有までの路線も追加されました。いわゆる 「第二東西線」 の計画になります。実際に開業した有楽町線は、起点は一番最初の計画 (1968年の都市交通審議会答申第10号) だった成増 (和光市) に戻り、保谷へは乗り入れという形で実現した格好になります。また、中村橋-目白間は経路こそ変更されたものの、副都心線として実を結ぶことになります。まぁ、有楽町線と副都心線の関係や沿革はこの後、さらに複雑になっていくんですけどね。ただ、開業当初は路線が比較的並行してることから、丸ノ内線のバイパス的な役割としての方が強く、ここでも20m級車両の強みをまざまざと見せつけた格好になりました。丸ノ内線と有楽町線の関係は、大阪市営地下鉄で言えば、御堂筋線に対する四つ橋線といった感じでしょうか。

7000系はその有楽町線用に用意された車両で、当初から東武と西武への乗り入れを考慮した設計になっています。
前述のように、車体や台車、機器類は6000系と同一ですが、制御装置にはサイリスタ・チョッパ制御の改良版である自動可変界磁チョッパ制御 (Automatic Variable Field=AVF) を採用しました。このAVFチョッパ制御は、電力消費量の抑制にも大きく寄与しました。AVFチョッパ制御は、7000系の本格採用を前に、6000系第一次試作車 (後のハイフン車) を使って試験が行われていたのは有名な話ですが、サイリスタ・チョッパ制御、AVFチョッパ制御、そしてVVVFインバータ制御の実用化に際して、6000系第一次試作車は多大なる貢献をしたのです。営団の開発部署からすれば、6000系第一次試作車は単なる “マウス” に過ぎませんでしょうけど、技術革新の陰の立役者としてもうちょっと評価を高めても良いのではないかと思います、6000系第一次試作車は。

乗り入れ先での優等列車充当にも対応出来るように、非常扉上部に列車種別表示窓を取り付けています。これが6000系との一番の識別点になりましょうか。ラインカラーが最大の識別点であるという声もありますけどね。この関係で、車号は非常用扉のほぼ中央部に移設されています。
開業当初は5両編成で、池袋-営団成増 (現、地下鉄成増) 間が開業した際に、10両編成化されています。
像はおそらく1974年の開業時の一コマだろうと思われます。編成が長く見えるのは2編成を併結した状態で留置されているからです。

そういえば、1974年に池袋-銀座一丁目間が開業した時、線内に本格的な車両検修施設が無く、飯田橋-市ヶ谷間に電留線を設けて、そこで簡単な列車検査を実施出来る飯田橋検車区を置いてましたね。飯田橋検車区は、東西線開業の際にも、部分開業で深川検車区も深川工場も無かったので、九段下-飯田橋間に電留線及び検査を行う施設を設けていましたけど、それが 「飯田橋検車区」 を名乗った最初の例です。深川工場が出来るまで、重要部検査は確か、日比谷線の千住工場で行っていたはずですので、以前お伝えしたように、国鉄線を大回りして千住まで回送していました。
深川検車区と深川工場が開設されて飯田橋検車区は廃止されましたが、有楽町線開業の際に再び 「飯田橋検車区」 を名乗る現業機関が置かれました。
全般検査や列車検査以外の各種検査は綾瀬車両工場で実施しましたが、桜田門-霞ヶ関間に千代田線と有楽町線とを結ぶ連絡線を使って綾瀬まで回送されていました。和光検車区や新木場検車区が開設されて、飯田橋検車区は廃止されました。

1990年代に入って、車齢も些か増してきた7000系ですが、6000系以降の車両に関しては、40年程度まで使用することが方針として決まっていました。そこで、1994年から大規模なリニューアル工事が実施されることになりました。
営団内では車齢20年程度の経年車両に対して、大規模な更新工事を行うことをB修工事と、車齢10年程度の経年車両に対して、簡易的な更新工事を行うことをC修工事とそれぞれ呼称していますが、1、2次車はB修を、10両化の際に新製された中間車についてはC修をそれぞれ実施しました。施工は綾瀬工場新木場CRで行われました。
具体的には、化粧板を白色系ベース品に交換し、袖仕切りは薄いピンク系色の化粧シート仕上げに改修、床材は茶色と黄土色のツートンカラー品に張り替え、座席モケットの交換、網棚を金網状から格子状のものに交換、乗降用ドア窓の大型化、行く先表示器のLED化、車いすスペースの設置 (2号車と9号車~1996年頃から) などが挙げられます。また、1996年施工分からは、省エネルギー化やメンテナンスフリーを目的とした、IGBT素子によるVVVFインバータ制御に更新し、現存する車両は全てVVVF化されています。

2007年度からは、副都心線に対応するため、さらに改造工事が実施され、工事を終えた車両には、黄色から、副都心線のラインカラーであるブラウンを主体として、白とゴールドを織り交ぜた腹巻きを巻くようになりました。それが現行のスタイルです。ワンマン運転を行うことから、ATOを取り付け、ホームドアも設置されたことから、それに対応させるための改造でした。これに対応出来なかった07系が東西線に転属したのは有名な話です。また、8両編成化も実施されました。
さらに10000系の登場によって、居場所が無くなった7000系の一部はインドネシアに売り飛ばされてしまいました。

これも 「そういえば」 の話になるんですが、前述の1972年に答申された都市交通審議会答申第15号で俎に上った豊洲-住吉-押上-亀有間の、いわゆる 「第二東西線」 の計画はどうなっちゃんでしょう?
住吉-押上間は、後々半蔵門線に引き継がれることになりますが、その計画を受けて豊洲駅には予め 「第二東西線」 用のホームと路盤が準備されています。しかし、それが活用されることは無く、計画も浮上しては沈下し、また浮上しては沈下するの繰り返しを続けています。ただ、東西線の混雑状況は昭和30年代~40年代の国電を彷彿とさせるほどの地獄絵巻を展開している状況にありますので、早急な計画再開が望まれているのは確かなようです。

副都心線の開業によって、さらに複雑な運用が組まれた有楽町線と7000系。ただ、1、2次車の残存車は登場から40年以上が経過し、営団時代の方針が継続されていれば、そろそろ引退の声が囁かれてもおかしくない時期に差し掛かりつつあります。画像の第18編成も残存しており、車齢も40年を越えています。東京メトロは今、銀座線と千代田線の車両置き換えが佳境を迎え、それがある程度目処が立てば、今度は日比谷線の車両取り替え (03系→13000系) が本格化します。もし、7000系の取り替えを行うのであれば、その後からになるのではないかと思われますが、今もあまり利用頻度が少ない有楽町線と7000系はちょっと注目しようかなと思っている昨今です。

【画像提供】
フ様
【参考文献・引用】
営団地下鉄車両写真集 (交通新聞社 刊)
鉄道ピクトリアル臨時増刊号 No.926 (電気車研究会社 刊)
ウィキペディア (東京メトロ有楽町線、営団7000系電車)