
昭和47年に発生した北陸トンネルの列車火災事故がきっかけで、次世代寝台客車として期待されていた14系客車の製造は打ち切られ、24系に移行したのが昭和48年のこと。14系は車両の床下にサービス電源用のディーゼル発電機を持ち、分割併合を容易なものにしたのが大きな特徴でしたが、万が一の事が発生した場合、車両に “爆弾” を抱える分散電源方式の14系や12系は危険度が高くなることもあり、車両の一端に電源車を持った集中電源方式の方が有事の際に客室への被害が最小限に食い止められるという判断によるものでした。また、分散電源方式だと、発電機の騒音や振動という問題がつきまとい、分割や併合を伴わない列車でも4両は連結しないといけませんので、この問題を解決するまでは分散電源方式の客車は製造しないことになるのです。
そして、それから5年後の昭和53年、数々の諸問題をクリアして、再び分散電源方式の客車が製造されることになり、14系の増備車という位置づけで登場したのが14系15形客車です。
14系15形の製造にあたって、一番力を入れたのがやはり防火対策。自動消火装置を含め、機関覆いの設置、火災表示灯の設置、機関吸気取り入れ口と発電機取り入れ口の分散、空気清浄機形状の大型化など、可能な限りの防火対策を施しました。また、騒音防止対策も徹底されており、万が一の事態を想定した設計になりました。
車体は24系25形の100番代に準じており、スハネフ15の正面形状はオハネフ25の200番代と同一の折り妻設計になっています。これは、分割・併合作業を容易にするための措置で、簡単に言えば、オハネフ25 200にディーゼル発電機を装備したような形状になっています。
ただ、この頃は既に寝台列車の斜陽化が進み始めていて、特に関西ブルトレは縮小傾向にありました。今後の増備や投入列車如何によっては上級車種 (A寝台や食堂車など) のラインナップ追加も検討されたのでしょうけど、まずはB寝台のみをラインナップすることにして、オハネ15とスハネフ15の2車種を製造しました。そしてそのB寝台も、24系25形を踏襲して2段式としました。
14系15形は、早岐客貨車区 (門ハイ~現在のJR九州佐世保鉄道事業部佐世保運輸センター) に全63両が配置されて、昭和53年10月の改正で 「あかつき」 に投入されてデビューしました。久々のブルートレイン新型客車ということもあって、人気も高まるだろうと期待されたのですが、最後まで地味な客車人生を送りました。というのも、国鉄時代に限っては投入列車が 「あかつき」 に限定されていて、関西地方を含めた西日本地域には馴染みが深いのですが、東日本地域では見られないので、パッとしなかったのも否めません。前述のように、投入列車の拡大、つまり、 「さくら」 や 「みずほ」 といった東海道ブルトレにも投入されればもう少し人気が出たのかもしれませんし、それを機に、オロネ15個室寝台も加わったかもしれません (食堂車はオシ14がそのまま充当だったでしょう) 。事実、 「 「さくら」 「みずほ」 にも個室寝台を・・」 といった声が多く寄せられていたりしますからね。東海道向けに14系15形を増備し、前述のオロネ15を追加して 「さくら」 「みずほ」 に投入し、炙れた14系14形を 「あけぼの」 「銀河」 などに転用するというフローも考えられていたそうですが、現実にはそうはならず、 「さくら」 も 「みずほ」 もそのまま14系14形を使い続けました。
14系15形はその後、昭和59年2月の改正で向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) に転属し、新たに「明星」 にも充当されることになりました。新大阪-鳥栖間で 「あかつき (下り1号、上り4号) と併結する運転スタイルとなりまして、関西ブルトレの縮小傾向が一層強まることになります。昭和61年11月の改正で 「明星」 が廃止されると、 「あかつき」 は1往復運転となり、単独運転となります。廃止になった 「明星」 に代わって、新たに 「彗星」 に14系15形を投入しますが、気がつけば 「あかつき」 と 「彗星」 は併結運転を行うようになり、 「彗星」 は平成17年に、 「あかつき」 は平成20年にそれぞれ廃止になっています。
61.11改正から少し遡って、昭和60年度から61年度にかけて、向日町の14系15形の一部と品川運転所 (南シナ) の14系14形の一部が熊本客貨車区 (熊クマ~現在のJR九州熊本車両センター) に転属になり、61.11改正で 「さくら」 「みずほ」 の受け持ちが熊本に変更になったことを受けて (長崎 (熊本) 編成が熊本、佐世保 (長崎) 編成が品川のまま) 、14形と15形が共通運用されるようになります。この結果、15形が東日本でも見られるようになったのです。もっとも、オール15形というのは存在せず、もっぱら白帯の14形と銀帯の15形の混成でしたけどね。また、熊本へ転属したスハネフ15は2両しかなかったので (20と21) 、 「さくら」 「みずほ」 のテールマークを掲げた姿を撮るのはちょっと至難の業だったりします。
民営化後も基本的には “西日本の客車” であることに変わりはないのですが、列車のグレードアップ化によって、改造形式が多く登場しました。15形から改造されたのは 「あかつき」 用の 「ソロ (オハネ15 300番代) 」 、 「トワイライトエクスプレス」 用の 「ロビーカー (オハ25 550番代) 」 あたりが有名ですね。また、車体が同一であることが幸いしてか、24系25形に改造されたり、あるいは24系25形を14系15形に改造されるなど、形式間改造が目立ち、きちんと整理しないとどれがどれだか判らなくなるほど、複雑な改造遍歴を辿ることになります。なお、スハネフ15から改造された車両はありません。
平成17年3月、 「はやぶさ」 と 「富士」 が併結運転されることになり、長年使用してきた24系から14系に置き換わりましたが、 「はやぶさ」 「富士」 共に、個室寝台が連結されています。そこで、オロネ25を改造して14系に編入し、登場から27年経ってようやく個室寝台のオロネ15形が登場することになります。中身はオロネ25時代と何ら変化はありません。しかし、その 「はやぶさ」 「富士」 も時代の流れに勝つことは出来ず、4年後の平成21年に廃止となりました。客車は大多数が廃車になりましたが、波動用などで数両が残り、オリジナルのオハネ15は全て消えましたが、スハネフ15は残存しています。ただ、長期保留車でおそらく、朽ち果てた姿になっているものと思われます。
画像はいつ撮影されたものか判りかねますが、登場当時は 「あかつき」 にしか充当されていないこともあって、ある意味では孤高の客車とも言えたのではないかと思ったりします。
国鉄最後の新型ブルトレ客車となった14系15形ですが、前述のように、最後まで地味な客車のまま終わってしまいました。でも、この見果てぬ客車に憧れを抱いた東日本の鉄道ファン、ブルトレファンは多かったのではないでしょうか・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.791、792 (いずれも電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.275 (交友社 刊)
復刻版 国鉄電車編成表 1986.11ダイヤ改正号 (交通新聞社 刊)
DJ鉄ぶらブックス① 「伝説のブルートレイン全列車」 (交通新聞社 刊)
日本鉄道旅行歴史地図帳第9号 「大阪」 (新潮社 刊)
ウィキペディア (国鉄14系客車、早岐客貨車区、熊本鉄道事業部)