
最近、 「幸せをもたらす」 ということで黄色い電車が持て囃されているようですね。
時には西武の電車みたいに、至極普通に見られる車両を指して 「幸せの黄色い電車」 と呼んだり、挙げ句の果てにはわざわざ本来の色を塗り直して (ラッピングして) 「幸せの黄色い電車」 に仕立て上げたりと、そのブームが過熱しているようにも見受けられるのですが、私に言わせれば、そんなのはお門違いですよ。新幹線の 「ドクターイエロー」 みたいに、稀にしか見られないから意味があるのであって、そして稀にしか見られない車両に “偶々” お目にかかった時に、その価値や効果が存分に発揮されるのだと思います。
いつぞや、私が弊愚ブログで 「 「ドクターイエロー」 を見ると、何か良いことがあるかも」 っていう都市伝説をお伝えしてから、何か急激に 「幸せの・・・」 と彼方此方で騒がれるようになったような気もするので、もしかして弊愚ブログがブームの火付け役・・・? んなわけはないのですが、弊愚ブログで伝える以前は黄色い電車が幸せを呼ぶだなんて、こんなには騒がれてはいなかったように思いますね。
さて、画像の電車も登場当時は稀少ゆえに、見られた時はラッキーだと言われたことがありました。
朱色のみだった201系に初めてカラーバリエーションが増えたのは昭和57年のこと。説明するまでもなく、中央・総武緩行線 (以下、総武線と一括りにします) 用として当時の中野電車区 (西カノ) に配置されました。老朽化した101系の置き換えというのもありますが、それに加えて冷房化の促進というのも投入理由の一つで、総武線の冷房車は103系が一手に引き受けていましたけど、さらなる冷房車の増備ということで201系を新製投入した経緯があります。まぁ、101系は老い先短いので、冷房化するのは勿体ないと思ったのでしょうか。
総武線の201系は、昭和56年度第一次債務で製造されまして、このグループから冷房装置を従来のAU75DからステンレスキセのAU75Gに変更されまして、外観上の大きな特徴になります。
編成は下記の通りです。
←千葉 三鷹→クハ201-モハ201-モハ200-クハ200-クハ201-モハ201-モハ200-モハ201-モハ200-クハ20034 76 76 34 35 77 77 78 78 3536 79 79 36 37 80 80 81 81 37
当時、私は中学1年生でした。
よく総武線の荒川中川橋梁に電車を見に行ったのですが、新製された黄色い201系は2編成しかないので、お目にかかるのはなかなか容易なことではありませんでした。それだけに現物を見られた時はやっぱりラッキーな気分になりましたし、実際に良い事があったかどうかというのは覚えていないのですが、こればっかりは気分の問題ということになります。
その後、黄色い201系は増え続けましたが、結果的に主力になることはありませんでした。どちらかといえば、101系の置き換えは103系を軸に進んでいたみたいで、新製車もありましたが、中央線快速からや山手線からの転属車が目立ち、特に205系の新製投入で103系の置き換えを開始した山手線では、580もの車両をどうやって転配させるかが議論になったと聞きます。結果的に埼京線開業用に大多数が川越電車区 (北ハエ~現在のJR東日本川越車両センター) に転配された他、101系の本格淘汰を目的に総武線に移った車両も目立ちました。
総武線の201系で印象深いのが201系のラストナンバーがいたこと。ラストナンバーを含む最終期の車両は、新製費が嵩む201系において、少しでもコストダウンをという思惑から、当初の設計思想とは意に反する仕様として落成したもので、俗に 「軽装車」 とも呼ばれています。
具体的には、
① バランサーを廃して、103系のような二段上昇窓とした。② 前面の “ブラックフェイス” の材質を従来のジンカート処理から、アルミ製電解二次着色板に変更した。③ 通風器はFRPからSPG (亜鉛鋼板) に、荷物網棚はステンレスからアルミへそれぞれ材質を変更した。④ 車号の文字をステンレス切り抜き文字から転写式に変更した。⑤ 主電動機をMT60Aに変更し、端子箱を廃止した。⑥ 台車の軸ばねをエリゴばねとして、従来のちりよけは廃止した。
201系軽装車は、総武線の他にも中央線快速や京阪神緩行線でも見られました。
その京阪神緩行線にも総武線投入から間を置かずに201系が新製投入され、関東では見られないスカイブルーを纏いました。これによって、201系はもっと増えるものと思われていましたが、前述のように新製費用が103系よりもかなり嵩み、加えてサイリスタ・チョッパ制御による重量増が仇となって、新製投入例はこの3線のみで終わり、合計の製造両数も1,018両にとどまりました。以降の増備はステンレス車体、界磁添加励磁制御を用いた経済性重視の205系に取って代わりましたが、中央線快速では昭和60年以降、101系を完全に置き換えて100%201系となりました。
総武線の201系でもう一つ、印象に残っているのがクハ201-3。
昭和63年12月に発生した 「東中野事故」 の当事車両でしたが、この車両だけは廃車を免れて長らく三鷹電車区 (東ミツ~現在のJR東日本三鷹車両センター) に放置されていました。営業車両に組み込まれたこともあったそうですが、その期間は極めて短かったらしいです。
「事故の生き証人」 として、201系撤退後も生き長らえたクハ201-3でしたが、最後まで残った黄色の201系でした。平成17年に惜しくも廃車回送されています。
「幸せをもたらした」 期間は極々僅かでしたが、先程もお伝えしたように、お目にかかった時はボルテージが上がっていたのは言うまでもありません。登場当事の黄色の201系にはそういうものを持ち合わせていたのかもしれませんね・・・。
【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.774 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.260、261 (交友社 刊)