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最初、この画像を見た時、 「アジ電?」 と思ったくらいでした。それくらい、派手にデコレーションしている列車だというのが第一印象でした。 「フラワーライン号」 ということは、これは北陸の城端線ですかねぇ~?

今でこそ、 「フラワーライン」 という愛称を得ていますが、やはり沿線にチューリップを始めとした花畑を多く持っていることに肖っているのだというのは想像に難しくないわけですが、この 「フラワーライン号」 はいつ頃走ったものなんでしょうか?
調べてみると、同一のものであれば、毎年ゴールデンウィークに運転される臨時の快速列車のようでして、いつもは和式客車が使用されていたみたいなんですが、気動車はいつ頃使用されたものなんでしょうか? もしかすると、城端線じゃないかもしれないですけどね。因みに最近は 「フラワーライン号」 ではなくて、 「チューリップ号」 に名を変えているようです。

画像の車両は、一見するとキハ47系のようにも見えますが、キハ45系になります。
国鉄の気動車は、その用途によって様々なタイプが派生して一大ファミリーを形成していますけど、ご多分に漏れず、キハ45系も運転台の数や地域向けなどでタイプが多岐に渡っていました。
収拾がつかなくなるので整理すると・・・
両運転台・両開き・暖地向け・・・・・キハ23 0番代 (エンジン1機)
両運転台・両開き・寒冷地向け・・・キハ23 500番代 (エンジン1機)
両運転台・片開き・酷寒地向け・・・キハ24 (エンジン1機)
両運転台・両開き・暖地向け・・・・・キハ53 (エンジン2機)
片運転台・両開き・暖地向け・・・・・キハ45 0番代 (エンジン1機)
片運転台・両開き・寒冷地向け・・・キハ45 500番代 (エンジン1機)
片運転台・片開き・酷寒地向け・・・キハ46
これらが基幹形式で、その他に簡易郵便荷物室を設けたキハ45 600番代や、長大編成に対応した2エンジン車のキハ53 100番代などがあります。
一部媒体では、キハ45系はキハ20系の後継車のような車両と説いているようで、私的にもキハ20の後継はキハ40と思っていましたけど、どうも、キハ20の後継がキハ45で、キハ10系の後継がキハ40となるみたいです。この辺の位置関係が今ひとつ判っていなかったようですね、私は。

中学生の頃、叔母が高岡市に引っ越して、いとこを引き連れて ( “引き連れられて” の表現が正しいかも) 1983年の夏に遊びに行ったことがあります。一人旅ではないので、鉄三昧とはいかず、それでもちょくちょくと高岡駅に繰り出して、 “未だ見ぬ北陸線の車両” を撮りまくっていました。また、氷見線にも乗って島尾海岸まで行きましたが、当時の氷見線は客レも残っていました。でも、記憶に残っているのは乗った列車は気動車でした。多分、キハ45系のようなキハ40系のような・・・という曖昧な記憶ですけど、キハ45だったんだろうな・・・。しかも島尾までで、氷見までは乗っていないという、今でもこの1区間は未乗のままだったりします。こないだの金沢出張の際に、氷見線全線完乗を目論んだのですが、ラーメンに傾倒したというのはお話ししましたね。

・・・で、結局、この画像は城端線なんだろうか・・・?
識者の見解をお待ちしています。

【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.268 (交友社 刊)
ウィキペディア (城端線)