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事業者名:尼崎交通事業振興(兵庫)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:神戸200 か 1616

局番:843号車

配置:尼崎市交通局塚口営業所

初年度登録:2005年式

シャシーメーカー:日野自動車

搭載エンジン:日野J07E-TC型

ボディ架装:日野車体工業

車両型式:PK-HR7JPAE

車名:日野レインボー

撮影日:2014年3月3日(月曜日)

撮影場所:阪急塚口駅



画像は再掲になります。

今年3月、惜しまれつつ、68年の歴史に幕を閉じた尼崎市交通局。画像はいまから2年前に撮ったものですが、伊丹市交通局同様に、 「撮ってて良かったね」 と思える1枚になりました。
画像の車、戸籍上は尼崎市交通局なんですけど、尼崎市と市交通局労働組合が共同出資して設立した尼崎交通事業振興の管理委託車両になっています。よって、データ上も 「尼崎交通事業振興の車」 とさせていただきます。幸か不幸か・・・。

尼崎市営バスは、文字通り、尼崎市内を縄張りとする公共交通事業でして、JRの尼崎駅、立花駅、阪神の尼崎駅、阪急の塚口駅などを中心とした路線網を形成していました。関西地区は同一駅名でも会社によってかなり離れている場合があり、兵庫県で言えばこの尼崎もそうなんですが、芦屋や塚口、さらには西ノ宮 (西宮) 辺りがJRと私鉄とでえれぇ離れていて、両駅を結ぶバスも珍しくはありません。何も知らない地方の観光客が行ったら、まず間違えるでしょうね。

尼崎は、兵庫県東部の中心都市でありながら、JR東西線開業までは今ほど騒がれていない街だったように思われます。今でこそ、新快速も停まりますが、国鉄時代は尼崎なんて眼中に無いとばかりに、尼崎は通過していたくらいですので (快速ですら停まらなかった) 、その変わりように驚愕している尼崎市民も多いのではないかと思います。福知山線の脱ローカル線化と、JR東西線の開通が尼崎を大きく変貌させていったのです。

1990年代に入って大きき様変わりした尼崎の足となって運行していた尼崎市営バスですが、沿線には阪急バスや阪神バスなども介入していて、国鉄 (JR) VS私鉄ほどではないにしても、熾烈な競争が繰り広げられていました。このような状況の中で、常に逆風が吹いていた尼崎市営バスなんですが、輸送人員は年々減少する一方で、例えば2012年度の輸送人員は約1,300万人で対前年比3.5%の減少になりますが、長期的に見ると、10年ちょっとで34%も下がっています。地方都市ならいざ知らず、大阪にも近い都市部でこれだけの減少を伴うと、事業経営としてはかなりのダメージになります。
尼崎市も横のライン (阪急神戸線、JR神戸線、阪神本線) は充実していても、縦のラインはJR宝塚線と阪急伊丹線だけで、バスは必要になります。でも、目立つバスは阪急や阪神ばかりで、市営バスの縄張りでもお構いなしといった感じなのが現状です。

1995年の阪神淡路大震災も利用者離れの一因だったと言われています。
普通なら、バスが足となるんですけど、ライフラインが復旧するまで自転車が大いに活躍し、復興後も健康志向のために自転車通勤 (通学) を継続している市民が多くいて、バスに切り替えなかったというのがその理由なんだとか。
いずれにしても、そういう様々な要因が重なって、尼崎市営バスは赤字続きになります。2003年度には 「尼崎市営バス事業第二次経営計画」 を策定して、この策定に基づいて翌年度から4路線を管理委託することを決定しました。当初は前述のように、市と交通局組合が共同出資して設立した 「尼崎交通事業振興」 に委託していましたが、事態は好転せず、2005年度は2路線、2006年度は6路線をに拡大していきました。そうなると、交通事業振興だけでは賄いきれなくなり、ついに阪神バスに路線の一部を委託することを決定し、主に武庫営業所管轄の路線を中心に事実上、手放した格好になりました。
平行して、事業の民営化も視野に入れた経営計画も盛り込まれ、2013年に第三者審議機関である 「尼崎市自動車運送移譲事業者選定委員会」 を立ち上げ、市民生活の利便性や尼崎市のまちづくり施策との連携などの観点から、阪神バスに移譲することを決定し、今年3月の阪神バスへの移譲→尼崎市交通局の廃止となったのです。

ここ数年で、日本各地の公営バスは廃業に追い込まれているケースが散見されます。札幌、熊本、呉、姫路、明石などがその代表例ですが、一方で利用者の減少で鉄道路線の廃止→バス転換という事例もあれば、今回のように、バス事業がダメになる場合も少なくありません。利用者が何を求めているのかがこの現実からも理解出来ないでいるんですが、結局は 「交通弱者」 と言われる子供たちや高齢者が泣きを見ることになるんだなって、これが実際の現実なんだなって感じました。

画像の日野レインボーは、全て尼崎交通事業振興の所有になっていました。


【参考文献・引用】
バスラマインターナショナル No.145、155
年鑑バスラマ 2016→2017
(いずれもぽると出版社 刊)
ウィキペディア (日野レインボー、新快速)