機 番:3号機新 製:昭和22年5月15日製 造:日立製作所製造番号:No.4609新製配置:沼津機関区最終配置:浜松機関区廃 車:昭和55年1月17日 (工事1052号による通達)
【改造履歴 (一部) 】昭和24年11月14日~:パンタグラフをPS14に換装 (11月22日まで、施工は浜松工場)昭和32年 1月 8日~:新車体載せ替え (2月28日まで施工は日立製作所)新車体時から小窓。旧車体はEF13 31へ移植。昭和32年 8月 9日~:踏み段補強 (8月15日まで、施工は浜松工場)昭和33年 8月 1日~:ステップと手摺りの取り付け (8月7日まで、施工は浜松工場)昭和38年 6月14日~:屋根昇り用ハシゴを切り欠き式に改造、前面手摺りと足台取り付け(6月21日まで、施工は浜松工場)昭和44年 3月11日~:側面フィルターを鎧戸に改造 (3月19日まで、施工は浜松工場)昭和51年 2月 4日~:ワイパーをWP50に取り替え (2基) 、前面窓のHゴム化(2月16日まで、施工は大宮工場)
【転配履歴~赤字で記しているのは貸し出し扱い】昭和24年 9月14日:浜松機関区昭和27年 3月21日:高崎第二機関区昭和29年 9月22日:浜松機関区昭和35年 8月24日:宮原機関区昭和35年10月 1日:浜松機関区へ返還昭和54年 8月26日:第一級休車に指定昭和54年12月25日:第二級休車に指定
2号機とほぼ同期生になりますが、1号機や2号機以上に、殆ど浜松一筋の機関車でした。
特に新車体載せ替え以降は、一時期、宮原への貸し出しはあったものの、基本的には浜松を出ることなく、地味な荷物列車の牽引に従事していました。これも1、2号機同様に、寝台特急 「いなば (出雲) ・紀伊」 の牽引も担ったのでしょうけど、当然のことながら、荷物列車牽引が浜松の主な働き場所だったので、やむを得なかったのかもしれません。
第一次装備改良の時期が不明でしたが、おそらくパンタをPS14に取り替えた時期がそうではないかと思われます。
画像は、第一級休車になる半年前、稼働最晩年の頃に撮影したもののようです。

昭和54年2月3日
東海道本線芦屋-西ノ宮間
画像提供:岩堀春男先生
( 「嗚呼・・国鉄時代」 No.179より再掲)