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「嗚呼・・国鉄時代 」 史上初の3枚構成です。
1枚目は、昭和50年12月24日に夕張線で捉えたD51 1086号機牽引の貨物列車、2枚目は昭和51年3月2日に追分機関区で捉えた9600形の79602号機、そして3枚目が昭和47年3月に室蘭本線で捉えたD51 241号機牽引の貨物列車というラインナップになります。この3機は共通する事項がありまして、SLの歴史、北海道の歴史に欠かせない存在であります。

【共通点その1】
冒頭でバレているかもしれませんが、3両とも追分機関区の所属であること。小樽築港や岩見沢第一といった、国鉄で最後まで残っていた蒸気機関車配置機関区としてその名を全国に轟かせていました。特にSL末期の昭和40年代後半から50年代前半にかけて、その人気は頂点に達し、全国からその最後の勇姿を一目見ようと、大挙、押し寄せていたのは言うまでもありません。

【共通点その2】
昭和50年12月14日、C57 135号機によって営業列車で最後のSL牽引客車列車が運転され、残るはいよいよ貨物列車だけとなりました。それも室蘭本線と夕張線のみでSLファンは最後のクラである追分に集まるようになりました。本線での運用はデゴイチが、夕張などでの入換用にはキューロクが主に担当していましたが、追分のデゴイチは、事実上、ここでしか見られないギースル・エジェクタ付きのカマが見られるだけでなく、場所柄、石炭列車の牽引がメインになるのですが、単機で1000tクラスの列車を引っ張る姿が比較的遅くまで見られたので、C62重連の 「ニセコ」 とはまた違う迫力を見せて (魅せて) いたということで、人気を決定づけたとも言われています。
C57牽引による最後の客レから10日後の12月24日、いよいよ本線での運用最終日を迎え、1086号機も241号機もラストランを迎えます。最後の営業列車を牽引したのは241号機で、この模様については、 「嗚呼・・国鉄時代」 のNo.168でお届けしています。
本線での営業列車は昭和50年12月24日で終わりましたが、入換仕業はまだ残存していました。そこで注目されたのが9600で、画像の79602もその中に含まれていました。年が明けた昭和51年3月2日、その追分入換が最終日を迎え、今度は本当に国鉄線上からSLが消えるとあって、前年以上にフィーバーとなりました。79602の他に、39679なども含まれていていました。9600は大正2年に製造が始まった機関車ですが、足かけ60年以上も働き続けた、日本で最も長命なSLとして名を馳せることになります。デゴイチ同様に使いやすかったのでしょうね。
D51 241も1086もそして79602も国鉄蒸気機関車の最後に立ち会ったカマになり、そして引退後はその歴史を語る生き証人となる予定でした。

【共通点その3】
昭和51年3月2日をもって、国鉄の蒸気機関車の営業運転は全て終了しました。昭和54年にC57 1による 「やまぐち号」 の運転を皮切りに、JR後になって各地でSLの復活運転が軒並み実施されていますが、以前にもお伝えしたように、現在のSL運転はあくまでも 「動態保存」 であり、一般の営業列車とは異なります。
さて、SLの営業運転は無くなっても、追分機関区が廃止されたわけではなく、また室蘭本線や夕張線の石炭列車は残存しています。SLに代わってDD51やDE10といったディーゼル機関車が新製配置されて、デゴイチやキューロクの代わりに働き始めていました。有終の美を飾ったSL数両は保存の対象となり、追分機関区の扇形庫で手厚く保管されていました。ところが・・・です。
最後のSL運転から1ヶ月強が過ぎた4月13日、失火によって追分機関区の扇形庫は全焼してしまい、扇形庫で眠っていたD51 241、1086、79602を含む13両は全身火傷でほぼ即死状態となりました。この中には、新製間もないDD51も含まれていましたが、これも 「嗚呼・・国鉄時代」 のNo.304で取り上げています。
つまり、画像の3両はそれぞれ追分の火災で被災してしまった3両の、在りし日の姿ということになります。特に241号機はまだ、現役引退が騒がれる前の撮影ですので、取り敢えずは 「現役バリバリ」 の頃と思っていただければと思います。

あらためて、画像を眺めますと、 「本当に引退するの?」 というくらい、綺麗に整備されています。それだけ追分のエンジニアやメカニックが愛おしく接しているのが解ります。もっとも、他の機関区でもそうだったとは思いますけどね。79602の乗務員が巻いている 「団結 (たぶん) 」 の組合ハチマキが印象的です。きっと、 「合理化反対」 か 「無煙化反対」 を訴えているのでしょうね。

SLブームの頃、そして現在、似ている部分があります。これを敢えて 「共通点その4」 にしたいのですが、それはSLが 「客寄せパンダ」 になっているということ。今はSLが走ると、 「郷愁を誘う」 とか 「古き良き時代」 とか良い事ばかり並べ立てていますけど、それこそ現役バリバリの頃は煤煙に相当悩まされたと聞きます。それが世が世だったら 「お前らのせいで洋服が (はたまた持ち物が) 真っ黒じゃないかっ!」 と即刻クレームじゃないですか。火の粉で火事になったという話も聞きますし、乗務員の劣悪且つ過酷な労働環境も 「動力近代化」 あるいは 「無煙化」 の推進を決定づけたのは言うまでもありません。だから単に “郷愁” だけで利用者はSLを持ち上げてはいけないということです。その “郷愁を誘う” 舞台裏は、様々なご苦労があることも忘れてはなりません。

【3枚とも画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
ウィキペディア (追分機関区)

【 「嗚呼・・国鉄時代」 アーカイブス】
追分に纏わる話はこちらも
http://blogs.yahoo.co.jp/mohane5812001/55175303.html (追分の火災で焼失したDD51 1144の在りし日の姿)
http://blogs.yahoo.co.jp/mohane5812001/54285051.html (D51 241の現役最終日。ギースル・エジェクタについても少々詳細を)