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疑われるかもしれませんが、これは阪神電車です。
阪神にもこういう 「特急専用車両」 って走っていたんですね。
元々が 「都市間交通 (インターアーバン) 」 として、阪神間の通勤・通学輸送に特化する色合いの濃かった鉄道ですので、そんなに高速輸送というのは必要なかったのかなとも思えるのですが、逆に国鉄や阪急との熾烈な乗客の奪い合いに勝つために、こういう優等列車専用車両はあった方が良いと感じたのかもしれません。そしてもう一つ、この3011形は、阪神の歴史において重要な意味を持つ車両でもあります。それは 「阪神初の大型車」 であること。

ご存じのように、戦前から熾烈な乗客争奪戦を繰り広げていた阪神間で、当初は 「待たずに乗れる」 という触れ込みで高頻度運転を行っていた阪神は省電 (→国鉄→JR) と阪急に差をつけていましたが、徐々に差を縮められて、気がついたら大きく水をあけられていました。
戦後になって、国鉄や阪急はそれぞれ急電 (後の新快速のルーツ) 、特急を復活させて、大阪-神戸を30分を切る俊足ぶりを発揮するのですが、これに対して阪神は急行ですら30分オーバーの鈍足ぶり。さらに1950年代に入って国鉄の80系、阪急の800系といった時代を彩った名車が登場すると、その差は決定的なものになりました。これはひとえに、阪神は車両の開発に対して消極的で、各社で近代化が推し進められる中、阪神は戦前製の小型車を後生大事に使っていたからに他ならず、抜本的な改善策が急務とされてきました。その一番槍が 「車両の大型化」 ということになるのですが、阪神は 「コストがかかりすぎる」 として、計画はあったものの、踏み込めないでいました。
大型車の導入は戦前から 「やってみたいね」 と前向きでして、実際に神戸市内の本線地下部分や伝法線 (→西大阪線→現在のなんば線) は当初から大型車乗り入れ対応の構造としていました。しかし、1938年の阪神大水害や、空襲による被災、さらに戦後間もなく発生した台風による被害等で、そっちの復興に時間やお金をかけたことから、新型車両の開発は後手に回っていたのです。

でも、 「転んでもただ起きない」 のが阪神で、この状況を指を咥えて見ていたわけではありませんでした。そこがタイガースと違う点。1950年代に入って、エンジニアをアメリカに派遣して技術の調査をさせたほか、運輸省から支給された補助金 (昭和26、27年度科学技術応用研究補助金) でカルダン駆動の長期試験を実施し、その研究データを基に1953年、ついに新型車両の発注を行いました。こうして1954年、阪神初の大型車であると同時に、同社初の高性能車となった3011形が登場しました。

車体は現在の阪神にはない斬新なスタイルで、前面形状は当時、流行していた前面二枚窓のいわゆる “湘南形スタイル” 。完全なモノコックボディではないけど、限りなくモノコック構造に近い軽量車体としました。
駆動方式はこの頃のトレンドであった直角カルダン駆動を採用しました。ただ、軽量で且つ出力の大きい主電動機がまだ開発途上だったこともあって、全電動車方式を採用しました。カルダン駆動に限らず、3011形は電装品の殆どを東芝製で賄っていました。

車内も現在の阪神にはないホスピタリティを持ち、国鉄の二等車に近いシートピッチを持つクロスシートを配しました。通風装置は電動発電機の風道を兼ねた強制通風式で、車体中央部に左右2ヶ所ずつ設けられた空気取り入れ口を活用して換気を行ったほか、冬季には抵抗器の廃熱を風道に送り込んで暖房用に宛がいました。
塗装は、画像では判りにくいですが、ベージュとマルーンのツートンカラーです。

一気に5編成15両が製造された3011形は、同年夏に開催された高校野球輸送臨時列車としてプレデビューを果たし、高校野球終了後の9月のダイヤ改正で、梅田-三宮間ノンストップの特急で正式にデビューを果たします。このノンストップ特急は、梅田-三宮間を25分で結び、二社に遅れていた分を一気に取り戻します。この効果もあって、阪神の利用客は急激に増え、阪神大躍進の一翼を担うことになります。

3011形登場以降、阪神は遅ればせながら車両の大型化を本格的に実施し、1958年には急行用に3301形、3501形が、各駅停車用には5001形が相次いで登場し、大型化=近代化が一気に押し寄せました。ただ、皮肉なことに、押し寄せる通勤客に3011形が対応しきれなくなり、梅田-三宮間無停車から、西宮、芦屋、御影に停まるようにした他、3301、3501形も特急に使用するようにしました。また、それまで3両固定編成から4両固定、さらには5両固定として編成の組み替えを随時、行っていきました。
それでも、激増する通勤輸送に耐え切れなくなり、加えて将来的な神戸高速鉄道への乗り入れに際して電圧を600Vから1500Vに昇圧することが計画されていたことから、3011形は1964年に前面の貫通化、ロングシート化の大改造工事を行うことになりました。
改造後は3061形、3561形を名乗るようになりましたが、種車からは想像がつかないほど大きく変貌を遂げています。改造当初は2扉のままロングシートに挿げ替えましたが、1969年には3扉化され、1974年には冷房も載せられました。なお、改造後の3061形、3561形の画像は、弊愚ブログでも取り上げていましたね。
赤胴車に混結される形でしばらくの間、運転されていましたが、老朽化のために1984年から廃車が始まり、2両を除いて後継の8000系に置き換わる形で全廃されました。この2両は西大阪線 (→なんば線) 用の車両だったのですが、末期の西大阪特急に充当された際、青木駅で列車の通過時に発生した風圧によって児童が転倒死する事故の当該車両だったことから、裁判の証拠材料として残されていました。裁判が終わった1989年に廃車されて3011形の歴史にピリオドが打たれました。

画像は何処で撮影されたものかは判りませんが、今、阪神にもこういう列車があっても良いですよね。
この当時は、目一杯頑張っても山陽電鉄の姫路までしか行けませんでしたが、時代は変わり、今は近鉄とも相互直通運転を実施しています。
現在も山陽電鉄とで梅田から姫路までの直通特急は走っていますが、せっかくなので奈良や京都から神戸、姫路までの特急を走らせても良いんじゃないかって気がします。その時は3011形の再来ではないけど、3011形のDNAをたたき台に、冷房は最初から取り付けて、シートは転換クロスシートにして、あわよくばトイレも付けたい。以前から 「アーバンライナーを神戸まで・・」 と説いていますが、是非、阪神にもそういうフラッグシップ的な車両を登場させて欲しいですね・・・。

【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
キャンブックス 「阪神電車」 (JTBパブリッシング社 刊)
鉄道ファン No.232 (交友社 刊)
ウィキペディア (阪神3011形電車)

3011形から改造された3061形、3561形についてはこちらを。