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ご存じ、上越線のハイライトである、 “上越国境越え” に挑むEF15牽引の貨物列車です。そして前部には、EF15を改造したEF16がしっかりとエスコートしています。昭和の上越線にあっては、これが名物で、その後EF64 1000番台に置き換わりましたが、上越線フリークが上越線を語る際、先ず以てこの機関車の存在は外さないだろうというくらい、しっかりと溶け込んでいました。

小学生から中学生くらいまで、EF16は全くのオールニューで造られた機関車だと思い込んでいました。全機がEF15からの改造だと知ったのはその後くらいで、世間的に見れば至極当たり前のことなのに、妙に愕然としたのを覚えています。しかも、最初期は上越線ではなくて奥羽本線で活躍したのもその頃知り、その時初めて奥羽本線は最初、直流電化だったことも知りました。

奥羽本線の福島-米沢間のいわゆる 「板谷峠」 は、今でこそ山形新幹線がひとっ飛びですが、最大で33‰という、奥羽本線屈指の難所であることに変わりはありません。非電化時代は特急 「つばさ」 を始めとして、自力で通過することが出来ない列車が存在したため、補助機関車の手助けでどうにか通過することが出来ましたが、古くは4110形やE10形蒸気機関車がその任にあたり、電化完成後はEF15が初代の補機電機となりました。しかし、EF15は空気ブレーキのみの装備で、その連続使用によって故障が頻発したことから、主電動機を発電機にして発電し、発生電力を送り返す電力回生ブレーキ装置の取り付け工事を行い、形式をEF16に改めました。時に昭和26年のこと。
この装置は、励磁機付き釣り合い抵抗器式で、戦前製のEF11に前例があるのみです。EF11は空気ブレーキに連動しますが、EF16にはそれがなく、回生不能になった時に警報を発するだけのものとしました。また、励磁機の発電機容量は、EF11が27KWであるのに対し、EF16はその線区の特性上、勾配のキツさを考慮して60KWとしました。
板谷峠では、重量列車に関しては重連運転を必須としてたため、連絡用のブザー装置と他社の全回路電流計が装備され、車端には電気回路連結栓が設けられています。

改造の対象になったのはEF15の中でも初期ロット (昭和22~23年製) のグループで、当初はEF15のまま福島第二機関区に転属しましたが、前述のトラブルで12両がEF16に改造されました。上越線に残ったグループもEF16に改造されましたが、奥羽線用とは些か仕様が異なります。
上越線の水上-石打間は、ループ線などを盛り込んで勾配対策を講じていますが、それでも板谷峠と比べて比較的勾配が緩いため、励磁機の発電容量は28kwに抑えられています。また、重連で回生ブレーキは使用しないので、電気回路連結栓は取り付けられていません。今だったら、100番代とか1000番代とか別途に数字を設けて区分をするところですが、EF16の場合はそういうことはせず、かといって連番にもしませんでした。奥羽線向けが1~12であったのに対し、上越線向けは20^31として区別したほか、仕様が異なることから、現場やマニアは奥羽線向けの機関車を 「福米形」 と呼称したりもしました。上越線向けを 「上越形」 と言ったかどうかは定かではありませんが・・・。

昭和40年、板谷峠用補助機関車に新型のEF64が投入されたのを機に、福島に配置されていたEF16は同区を離れて長岡第二機関区に転属となりますが、11と12を除いてEF15に戻されました。一方、上越向けの12両はそのまま水上機関区で客貨、昼夜を問わず、黙々と “峠のシェルパ” を務めていました。よく碓氷峠のEF63や “セノハチ” のEF59などと比較されることも多かったのですが、EF16が特に支持を集めたのは冬季。日本屈指の豪雪地帯である上越国境越えを老体に鞭打って重連で力強く上り下りする姿に、場所と機関車は違えど、函館本線のC62 「ニセコ」 を被らせるファンもいたそうで、やっぱりこの手の絵面になると、EF63やEF59の比ではないという声が多かったと聞きます。
なお、奥羽本線福島-米沢間は昭和43年に電化方式を直流から交流に変更し、線用の機関車としてEF71とED78が新製投入されました。EF64は僅か3年足らずで東北から一転して比較的温暖な稲沢第二機関区 (現在のJR貨物愛知機関区) に転属となり、主に中央西線が活躍の場となります。

EF16は旧形機関車ではあるものの、活躍の場が限られたこともあって、種車になった他のEF15やEF13辺りと比べても、老朽化の波はそんなに早くは来ませんでしたが、さすがに昭和50年代に入ると、さしものEF16も彼方此方に痛みを訴えるようになります。となると、現場や高崎鉄道管理局、新潟鉄道管理局も 「そろそろ交替の時期かな」 と新形機関車の登場を要求し、加えて上越線、信越線 (新潟口) 、高崎線などで活躍していたEF15とEF58もまとめて取り替えちゃえということで、昭和55年に国鉄最後のオールニュー電気機関車、EF64 1000番代が登場することになります。別形式にしても良いくらい、0番代とは全く異なる外観ですが、国の会計監査をクリアするために敢えてEF64のグループに編入した経緯があります。それは当時の国鉄では至極当たり前であり、国の機関であった国鉄にとって苦肉の策でもありました。同様のやり方で183系1000番代や485系1000番代、115系1000番代もそのやり方でそれぞれの形式にねじ込まれました。

EF16はEF64 1000に置き換わる形で引退していきましたが、すぐに廃車とはならず、水上機関区の庫内で眠る日々が続き、昭和56年までその姿は見られたそうです。最終的には全車廃車となっているのですが、この名物機関車を後世に伝えるべく、28号機だけが解体されずに生き残り、縁の深いみなかみ町に保存されています。

EF16はその特性上、個人的にはあまり縁がありませんでしたが、EF15は意外にも大好きな機関車だったりします。

【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.783、815 (いずれも電気車研究会社 刊)
機関車ハンドブック EF15×EF58 昭和50年代の記録
国鉄機関車 激動11年間の記録
(いずれもイカロス出版社 刊)
ウィキペディア (板谷峠)