
583系、101系に続く、 「国鉄の偉大なる失敗作」 の第三弾は、特別準急用として製造された157系電車です。 “失敗作” ではあるけど、 “偉大なる” という形容詞が前置きされているだけあって、100%失敗作では無いのです (勿論、583系も101系もそう) 。日進月歩の技術革新の裏にはこういう 「しまったぁ~っ!」 と叫ばざるを得ない車両もあったりして、そういう失敗を繰り返して、その都度、勉強しながら次作の成功につなげていくわけですから、鉄道に限らず、あらゆる分野においてエンジニアやデザイナーは常に自分の描いたイメージを形に出来た、良い時代だったのかもしれません。
157系は日光用の特別準急用として開発・製作されたのは皆さんもご存じかと思いますが、 「こだま形」 ことモハ20系 (→151系→181系) と遜色ないホスピタリティを兼ね備えていたことから、オフシーズンには東海道本線の特急をフォローする臨時特急 「ひびき」 に充当されました。つまり、夏季は本来の業務である 「日光」 「中禅寺」 として、冬季は東海道に出向いて 「ひびき」 としてまさに八面六臂の活躍を見せました。その他にも伊豆方面への準急に使用されるなど、157系の前途は洋々なものであると誰もが信じて疑いませんでした。
では、何故157系が 「失敗作」 と言われてしまったのでしょうか?
まず、当初の開発目的である日光方面への輸送対策で、ライバルである東武が特急を擁立したのに対し、国鉄は 「距離が短い」 という理由だけで、特急は勿論のこと、急行にもなりませんでした。157系が登場する前から首都圏対日光は東武鉄道と国鉄が熾烈な乗客争奪戦を繰り広げておりましたが、いつぞやお伝えしたことがあるんですけど、最初から複線電化で電車を走らせていた東武 (伊勢崎線・日光線) に対して、国鉄日光線は単線非電化。この段階で国鉄は白旗を揚げるべきだったんですが、唯一のアドバンテージは、東武が浅草を起終点にしていたこと。今も昔も浅草はお世辞にも 「都心のターミナル」 としては不便この上ない立地条件であり、上野駅を発着していた国鉄の快速列車は都心部からダイレクトに日光に行けるという利点を活用して支持層を拡大しようとします。そして劣勢だった情勢から起死回生を図るために、2エンジン搭載でワイドボディを採用したキハ44800形 (→キハ55形) を使用するようになり、快速から準急へと格上げした 「日光」 の運転を開始しました。
キハ55の登場でも事実上痛くも痒くも無い東武ですが、 「突き放してやろうか」 と、使用車両を5700系から1700系へと車両を置き換え、デラックス化を推進します。それでも国鉄は白旗を揚げませんでした。 “今更ながら” ではありますが、昭和34年9月に東北本線宝積寺-黒磯間と日光線宇都宮-日光間の電化を完成させ、それを機に準急 「日光」 の電車化を図ります。十河国鉄総裁自らエンジニアやデザイナーといった開発陣の尻を叩き、 「日光行きの電車である以上、みっともない車両は造るな」 とハッパをかけたそうです。そんな事情から、準急は準急でも 「特別準急」 と位置づけで、特急にも引けを取らない破格の車両が完成しました。それが157系です。
前述の東北本線と日光線の電化がメインだった昭和34年9月22日のダイヤ改正で、157系はデビューし、東京-日光間の 「日光」 と新宿-日光間の 「中禅寺」 、そして上野-黒磯間の準急 「なすの」 として運転を開始しました。また、間合いで日光-黒磯間の快速 (列車名無し) にも使用されました。
157系の登場によって、巻き返しを図れたはずの国鉄でしたが、その翌年、決定的なトドメを刺されます。1720系 「DRC」 の登場です。 「こだま形」 を彷彿とさせるボンネット形の流線型先頭車を始め、ジュークボックス付きサロンカー、ビュッフェを装備し、おまけに冷暖房完備。157系は二等車 (→グリーン車) こそ連結していますが、三等車 (→普通車) はリクライニングしないロマンスシートだし、売店設備はあるけどビュッフェほどの供食設備は無し、そして何よりも非冷房であるのが痛手でした。準急としては破格のホスピタリティでありながら、その一方で 「準急だから」 という理由だけで冷房の取り付けは見送られたという、何とも矛盾した話なんですが、当時は急行ですら冷房が無かった時代、列車種別の階級制度からいけば致し方がないだろうと思うには思うのですが、冷房の有る無いだけでその車両の評価が決定づけられてしまった悲運の車両になる礎となったのです。
東武1720系の登場で、まさに 「東武圧勝、国鉄惨敗」 が決定してしまった感のある日光への乗客争奪戦は、まさに 「与党圧勝、野党惨敗」 の様相を呈した格好になりました。国鉄は巻き返しを図ることはせず、準急 「日光」 の一部列車に新鋭の165系を投入したりと、国鉄は日光関連に執着しなくなり、東海道新幹線が開通した昭和39年には、1往復を除いて157系の 「日光」 運用が消滅しました。昭和41年の種別改正によって準急は廃止されて、 「日光」 も急行になりましたが、それも束の間、昭和44年には残る1往復も165系に置き換えられて撤退、本当の意味での 「日光」 関連の運用はたった10年でした。
一方、東海道本線の輸送力が逼迫している中で、 「ひびき」 の存在も無視出来なくなり、当初は臨時列車だった 「ひびき」 は昭和35年からは予定臨に組み込まれ、翌36年10月のダイヤ改正からは晴れて定期列車に昇格しました。 「ひびき」 の定期化によって、遅まきながら157系も冷房化されることになりました。もっとも、登場当時から冷房準備車的扱いだったこともあって、冷房改造は比較的容易に施行することができましたが、準急云々言う前に、最初から冷房を取り付けていれば、157系の評価、とりわけ日光行きの列車として評価するならば、もっと違うものになったかもしれませんね。
国鉄が財源確保のために、 「特急の大衆化」 を打ち出したのが昭和40年代後半ですが、短距離であろうと、短編成であろうと、グリーン車や食堂車が連結されなくてもとにかく特急利用の門戸を拡げたその代表格がエル特急だというのは皆さんも周知の事実かと思います。しかし、短距離と言えど、利用が見込まれた日光方面への列車を敢えて特急にしたら、国鉄 VS 東武の闘いも違った結果になったかもしれません。極論を言えば、151系を投入しても良かったんじゃないかと今になって思えば、そんな気がしないでもありません。でも、 「特別急行」 としての威厳というか、プライドみたいなものが昭和30年代にはまだ残っていたので、短距離、短編成では特急の名を名乗る資格は無かったんでしょう。
「準急」 という中途半端な列車種別に固執したこと、それ故に冷房搭載を見送ったことが、その後の157系の評価を落としたというのはお伝えした通りですが、東海道新幹線開通後は、伊豆方面への準急列車に使用されるようになり、 「日光形電車」 と形容はされますが、どちらかというと、 「伊豆列車」 のイメージの方が強くなりました。実際、昭和39年11月 (私の両親の結婚記念日) には準急から急行に “出世” した 「伊豆」 に使用されるようになり、昭和44年からは特急 「あまぎ」 に使用されるようになりました。こうやって考えると、準急用なのか急行用なのか、はたまた特急用なのかはっきりとしない 「グレーゾーン」 的な車両で、中途半端な立ち位置も些か評価を下げた要因の一つかなと。中身は変わらないのに、立場だけ準急だ、急行だ、特急だとなれば、何処の会社にもいる 「卯建の上がらない管理職」 みたいな存在でしかないんですよね。仕事の資質は何も変わらないのに、やれ係長だ課長だ部長だと、取り敢えず出世だけはするサラリーマンと一緒ということ。
そういうダメな管理職は何処かで必ずボロが出るものですが、157系も急行だ特急だと出世を繰り返す度に、体の節々に異常を訴えるようになります。元々が 「準急用」 という名目で製造された157系は、側窓が開け閉め出来た車両でした。特急用に準じた仕様ならば、固定窓にしたもう少し寿命が延びたのかもしれないんですが、一段下降窓が災いして、寿命を縮める結果となりました。雨水がその一段下降窓から入り込んで車体を蝕むことになり、昭和50年代に入ると、もはや手の付けようが無いほど深刻な状態となり、特急 「あまぎ」 を最後に定期列車から撤退し、貴賓車クロ157の助さん、格さん的車両 (クモハ157-1、2とモハ156-1、2) を除いて昭和51年までに全て廃車になりました。
画像は、準急 「日光」 に充当はされていますが、冷房が取り付けられていますので、昭和38年以降の撮影になろうかと思います。前述のように、 「日光」 運用は、1往復を除いて昭和39年に消滅していますが、それでも首の皮一枚で本家本元の運用は残されていました。ヘッドマークを見ると、 「準急」 表記になっていますので、冷房化が推進された昭和38年から、走行距離100km以上の準急が急行に吸収された昭和41年3月の間に撮られたものと推察されます。先程もお伝えしたように、 「もう少し早く冷房化がなされていれば・・・」 と悔やまれるのですが、 「時既に遅し」 的な評価は否めません。
「失敗作」 と言うけれど、157系のコンセプトは決して間違っていたわけではなく、そのDNAは183系や185系に受け継がれています。設計的な問題さえ克服していれば、もしかすると183系とか185系は登場しなかったかもしれませんしね・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.752 (電気車研究会社 刊)
国鉄車輌誕生秘話
復刻版私鉄の車両24 「東武鉄道」
(いずれもネコ・パブリッシング社 刊)