
国鉄電車史上最高の “イケメン” と個人的に形容している117系電車です。
近郊形車両でありながら、2扉転換クロスシートやエアサス台車を装備した破格のホスピタリティで、瞬く間にスターの座を射止め、登場当初は 「これで、阪神、阪急、京阪に勝てる」 と大いなる期待を一身に背負った車両でしたが、その一方で、国鉄本社の報復かどうかは別として、度重なる運賃値上げと、外側線 (列車線) の線路を使わせてもらえなかったという点が災いして、民営化直前の61.11改正でようやく新快速が列車線を走ることになりましたけど、2扉車では通勤時に乗り降りに時間がかかりすぎると不評が燻り始めていて、民営化後、3扉ながら転換クロスシートを装備した221系や223系が登場すると、真っ先に新快速に投入されて117系は次第に主役の座を引きずり下ろされます。そういう意味では、事実上最後まで本領を発揮出来なかった悲運の車両だったとも取ることが出来ます。
また、 「この車両はあくまでも京阪神間の “新快速専用” や。他線には投入させへんで」 と大阪鉄道管理局が頑なに拒否したのも117系のイメージを下げた要因の一つだったと考えます。その事が直因で広島地区用に115系3000番台が登場したのは有名な話。しかし、大鉄局の抵抗も空しく、昭和57年には名古屋地区に投入されてしまいますが、あの時、広島鉄道管理局はどのような面持ちで 「東海ライナー」 を見ていたんでしょうね・・・。
さて、この117系、前述のように国鉄時代は京阪神地区と名古屋地区に投入されましたけど、もし、東京地区に117系が投入されたら、使い物になったのでしょうか?
実際に計画はあったようで、東海道本線東京口で老朽化した153系の代わりに117系を投入して特急 「あまぎ」 と急行 「伊豆」 を統合した新特急に使いたいと国鉄本社は計画を打ち出します。この 「あまぎ」 「伊豆」 を統合した後継列車が 「踊り子」 であるのは皆さんもよくご存じのことかと思います。しかし、東京南鉄道管理局の営業部署から 「デッキの無い車両を優等列車に使うわけにはいかない」 と猛反対に遭いまして、結果的に117系をベースにした新しい特急用車両が製造されます。これが185系だということも皆さんはご存じでしょう。もし本社の思惑や計画通り、 “特急用” の117系が登場したら、サロ117やサハ117といった新形式も興されたんでしょうけど、でも、よくよく考えてみると、117系って 「近郊形車両」 に位置づけられますけど、所詮は通勤用車両ですよね。これを特急に宛がったらもっと不評の嵐だったでしょうね。 「国鉄もここまで落ちぶれたか」 って。そういう意味では、東京南局の反対は正しかったと思います。
その頃の153系は、急行 「伊豆」 の運用の他に通勤輸送も兼ねた運用をこなしており、それは185系登場後も継承されますが、確かに居住性は格段に向上しますけど、東京において2扉は通勤には適さないと思いますね。京阪神と名古屋は通勤輸送というよりも、並行する私鉄に対抗するためだけに投入したようなものですから、あまり通勤対策というのは考えていなかったように思います。もし、通勤対策も念頭に置いているのであれば、国鉄時代に221系や311系のような車両が登場していたと思うから。 「並行する私鉄に対抗するため」 という位置づけなら、横須賀線・総武線快速への投入も選択肢の一つに挙げられたのでしょうけど、横須賀・総武線もまた、要改善重要通勤路線になっていましたので、やっぱり無理がある。因みに、117系は試運転で横須賀線を走った経験があります。それを目撃した人は 「あれが横須賀線に投入されれば・・・」 と思ったんじゃないですか?
いずれにしても、先程申したように、東京では2扉車を通勤に使うのは困難であるという結論です。朝夕のラッシュ時には使わないという前提であれば、117系の投入も大ありだと思いますけどね。そして、結果的には本来の力を発揮出来なかった117系ですけど、やっぱり117系は 「新快速」 の運用が一番合っているように思います。
【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
ウィキペディア (JR東海311系電車)