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「んっ!? これは103系ですか?」 と思ったあなた、 「正解ですっ!」 と言いたいところなんですが、残念ながらこれは103系ではないんですねぇ~。もっとも、後々、103系にはなることはなるんですがね・・・。

私鉄では、旧来の足回りを使い、ボディだけ新型に載せ替える近代化改造が各社で行われていましたが、国鉄でも同じことをやろうと思い立ち、試験的にモハ72587の車体を103系のと同じボディに
換装させました。時に昭和47年のこと。改造後はモハ72970として、改造当初はオレンジに塗られましたが、後に茶色 (ぶどう色2号) に塗り替えられて鶴見線の電車に組み込まれました。ただ、両端が在来のクモハ73やクハ79だったので、目を凝らさないと判別が付きにくかったそうです。

モハ72970の結果を踏まえて、昭和49年に本格的に改造工事を行うことになり、モハ72とクハ79をそれぞれ10両ずつ、合計20両が改造されて、旧型車の置き換えが急務となっていた仙石線に投入されました。
モハ72970同様に、足回りはそのまま、ボディを103系と同じものに載せ替えました。特筆すべきは
クハ79。やはり103系と同じ車体を載せましたが、当時のクハ103は山手線・京浜東北線用にATC機器を取り付けた仕様となり (この時はまだ準備段階で、実際にATC機器は取り付けられていない) 、運転台も高くなりましたが、このクハ79もクハ103のATC仕様と同じ形のボディを載せることになりました。しかも、外板塗色はうぐいす色だったので、何も知らない乗客は 「仙台に山手線?」 と思った方もいたのではないかと思います。コアな鉄道マニアは屋根上に冷房が取り付けられていないこと、台車やパンタは旧いままなどから、すぐに 「旧国の改造だっぺ?」 と見破ったようですが、それこそ事情を知らない仙石線の乗客は 「新車が入った!」 と大いに歓迎を受けたとか受けなかったとか・・・。

旧来の台枠を生かすことを前提にボディを拵えているため、103系よりも裾が長めになっています。後述しますが、103系3000番台がオリジナルの103系よりも些か面長に見えるのはそのためです。また、電動発電機 (MG) の換装による電源の交流化など、在来車との混結は前提としていない設計 (改造) のため、モハ72、クハ79を名乗っていても、他の72・73系とは混結が出来ません。
前述のように、改造当初はうぐいす色 (黄緑6号) 1色でしたが、後に視認性の関係で前面に黄色の警戒色を入れるようになり、山手線というよりも、関西線に近い配色になりました。

投入当初の編成表は不詳ですが、昭和60年3月当時の編成表を載せておきます。

←石巻                             仙台→

  クハ79601-モハ72975-モハ72976-クハ79602
   (クハ79435)      (モハ72612)   (モハ72544)  (クハ79378)
   クハ79603-モハ72971-モハ72980-クハ79610
  (クハ79349)   (モハ72502)   (モハ72566)  (クハ79368)
  クハ79605-モハ72979-モハ72978-クハ79608
  (クハ79451)   (モハ72511)   (モハ72560)  (クハ79342)
  クハ79607-モハ72977-モハ72974-クハ79604
  (クハ79305)   (モハ72509)   (モハ72543)  (クハ79456)
  クハ79609-モハ72973-モハ72972-クハ79606
   (クハ79949)   (モハ72561)   (モハ72504)  (クハ79374)
括弧内が種車になります。
昭和55年に旧型車を置き換えるために、 “本家” の103系が送られてきましたが、103系が投入されても “もどき” の方は残存しました。下回りこそ旧形ですが、ボディはまだ載せ替えたばかりなので、使えると判断したのでしょう。それを機に、外板塗色を103系に合わせてスカイブルーに塗り替えられました。

これらいわゆる “アコモ改造車” 投入線区は、他に身延線が選ばれ、身延線仕様は115系 (外板塗色の塗り分けは113系) 風のボディを纏ったスタイルとなりまして、そのためか形式も変更となってモハ62、クハ66となって、ワインレッドの115系が投入するまで活躍しました。仙石線同様、身延線の利用客もこのマジックには気づかず、 「新車だっ!」 と小躍りしたとかしなかったとか・・・。

他線区で72系・73系を始めとする旧形国電が次々と置き換えられていく中、このアコモ改造車は生き残りまして、気がつけば仙石線は富山港線とともに72・73系最後の運用線区となりました。その活躍も昭和60年までで、3月の改正を機に、両線とも運用から離脱しました。富山港線で使われた車両は475系に置き換わり、72・73系は早々に廃車・解体されてしまいますが、仙石線のアコモ改造車は解体されませんでした。まだ使う気でいたんです。

ちょうどその頃、東北新幹線上野開業に際して、近隣沿線住民への配慮から、新幹線と併行して新しい通勤新線 (埼京線のこと) を建設していましたが、同時に川越線も電化して電車を走らせることにしていました。通勤新線用の車両は、山手線に205系を投入して余剰となった103系を転配させるフローで計画されていましたが、川越線電化用の車両については、適当な車両が見つかりませんでした。中央線快速や武蔵野線、総武線などで運用に就いていた101系をレストアすることも一度は考えられていたみたいですが、老朽化の観点からすぐに立ち消えとなり、仙石線用の72系を種車とし、今度は台車やモーターなど、足回りを新しくする改造を実施。これは検査周期規定の改正によって、台車検査が廃止となり、台車に余剰が生じたことから実施されたものであり、103系風に改造された72系はついに、本家の103系グループに収まることになりました。いずれにしても、旧形国電を新性能電車に改造するという前代未聞の改造劇に注目が集まりました。また、外板塗色もうぐいす色に塗り直され、原点回帰のような改造でもありました。

当初、川越線の区間運転用に3両で計画されたため、モハ72971、973、975、977、979が編成から外された上に、電装解除されてサハ103 (3000番台) になって青梅・五日市線に一度は転出。そしてクハ79602、604、606、608、610にモーターを取り付けてクモハ102としました。平成8年に八高線の電化で209系 (3000番台) が投入され、103系3000番台も使われるようになりますが、209系に編成を合わせて4両化することになり、サハ103 3000番台に白羽の矢が立ちます。こうして、約10年ぶりにアコモ改造車グループは再び4両を組成することになりました。

103系3000番台は平成17年まで活躍しましたが、改造種車の中には昭和27年製の車もあり、72系時代から数えれば、実に53年という長命な電車でした。そうやって考えると、国鉄の車両は実に頑丈に造られているんだなってあらためて実感として感じました。

【画像提供】
は様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.417、541 (いずれも交友社 刊)
季刊 j train Vol.12 (イカロス出版社 刊)
復刻・増補 国鉄電車編成表 1985年版 (交通新聞社 刊)
ウィキペディア (国鉄72系電車、国鉄103系電車、JR川越・八高線)