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画像は東京某所。私が乗るバイクと併走するのはマルボロカラーも鮮やかなホンダS660。
マルボロカラーにホンダとなれば、やはり “マクラーレン・ホンダ” を連想される方も多いかと思いますし、端から見れば、このオーナー氏もマクラーレン・ホンダを多分に意識しているのかなとも受け取ることが出来ます。
しかしやはり、 「マクラーレン・ホンダ」 は赤白でないとな・・・と思うのも否めず、人様の車を勝手に撮っといてあれこれ難クセつけるのも無粋なんですが、ちょっと残念だなって気がしました。もしかするとオーナー氏はマクラーレン・ホンダとは別の意味合いで黄色+白にしたのかなとも思ったりします。

F1チームのスポンサーとして大きな財源となっていたたばこメーカー。同時に、ラバットやミラーなどのビールメーカーも大きなスポンサーでしたよね。マルボロやキャメル、JPSなど、各国のたばこカラーがサーキットを染めていました。1990年代には、日本の専売公社・・いや、JTもスポンサードして、ティレルチームに 「キャビン」 のロゴを冠したり、ベネトンチームのマシンが 「マイルドセブン」 のカラーになったりと、鮮やかな色彩が注目を集めましたけど、英国や仏国、独国ではたばこ広告が禁止されているため、色は残置されてもロゴは別の文字で表現したりしていました。
マクラーレンチームも1970年代からマールボロを取り扱うフィリップ・モリス社と契約して、マシンを赤白のマルボロカラーに塗って走っていましたが、1974年のエマーソン・フィッティパルディを皮切りにジェームス・ハント (1976年) 、ニキ・ラウダ (1984年~注) 、アラン・プロスト (1985、1986、1989~注) 、そしてアイルトン・セナ (1988、1990、1991) といったワールドチャンピオンも輩出した名門チームです。

このうち、ホンダエンジンと絡んだのが1988年からで、セナとプロストのドライブによって16戦15勝とい驚異的な戦績で他を圧倒したのは皆さんも覚えられていることでしょう。その後は様々なことがレース内やレース外でも起こりましたけど、日本でもF1が浸透したのはやはり赤白のマシンだったからじゃないでしょうか。

マルボロカラーのマクラーレンというと、先程来から申しているように、赤白のイメージが強いですけど、実は1戦だけ、画像のような白+黄色のマルボロカラーが走ったことがありました。
時は1986年、エストリルサーキットで行われた第14戦ポルトガルグランプリでのこと。スポンサーの意向かどうかはさだかではないのですが、ケケ・ロズベルグ (1982年ワールドチャンピオンにして、ニコ・ロズベルグの父親) が乗るマクラーレンMP4/2Cのカラーリングが赤では無く黄色に塗られました。パートナーのプロストは従来通りの赤白だったんですけど、その時は41周でエンジントラブルによってリタイアしています。なお、1986年のマクラーレンは、TAGエレクトロニクスと共同開発したポルシェのV6ターボエンジンでした。後にも先にも黄色+白のマルボロカラーはこの1戦だけで、次の第15戦メキシコグランプリからはまたロズベルグのマシンは赤白になりました。

昨年からまた、マクラーレン・ホンダが復活したそうですが、まだ発展途上のようで精彩を欠いているようですね。黄金時代を知る者からすれば 「何やってんだっ!?」 と連日叩かれているのがちょっとツラいところでしょうか。でも、いつかまた、 “ホンダミュージック” が世界を席巻する日が来ることを期待しています。そして、絶好調のニコ・ロズベルグ、もしワールドチャンピオンになれば、史上二人目の親子二代チャンピオンになります。今からそんな話をしても絵に描いた餅にしかなりませんが、同じような期待を抱いている人は少なくないと思います。

注:ニキ・ラウダとアラン・プロストはあくまでもマクラーレン時代でのチャンピオン獲得年となります。
他に、ラウダは1975年と1977年にフェラーリで、プロストは1993年にウィリアムズでそれぞれワールドチャンピオンになっています。