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関西ブルトレを代表する 「あかつき」 です。
「あれっ!? 客車は24系なのに、何でカニ22が連結されているの?」 とお思いのかたもいらっしゃることでしょう。確かに見てくれはカニ22ですが、これはれっきとした24系の電源車、カニ25であります。もっとも、出自は紛れもなく20系なんですけどね・・。

カニ25をお話しする前に、まずはその前身となるカニ22からその歴史を辿りたいと思います。
昭和33年に衝撃的なデビューを果たした20系客車は、 「あさかぜ」 を皮切りに、 昭和34年には「さくら」 、そして翌35年には 「はやぶさ」 と次々に充当されていきます。数多ある20系の最大の特徴は、何と言っても、編成の一端に電源車を連結したこと。1両の電源車で室内の空調や照明、食堂車のサービス電源全てを賄いました。 「集中電源方式」 と呼ばれるシステムが後々の寝台客車のスタンダードとなり、最新の寝台客車であるE26系も集中電源方式を採用しています。
20系初代の電源車であるマニ20には、DD13形ディーゼル機関車に搭載されているDMF31型を発電用に改良したDMF31S-G型ディーゼル発電機を2基搭載して、PAG1型発電機と組み合わせて、三相交流600Vの電力を供給しました。 「さくら」 用にはマニ20の荷物室部分を拡大 (3㌧→5㌧) したカニ21が製作され、以降、20系の主力電源車となります。
「はやぶさ」 の20系化に際して、設計陣は新たな施策を試みようとします。それがディーゼル発電機と電動発電機の両方を兼ね備えた 「両用電源車」 の採用。直流電化区間ではパンタグラフから取り入れた電気を介して電動発電機を作動させ、非電化区間ではディーゼル発電機に切り替えるというもの。構造こそ違いますが、今風に言えばハイブリッドの元祖とも言える画期的なシステムで、様々な試作品を製作して比較検討した結果、カニ21をベースにした方が得策と位置づけ、カニ22が登場しました。当時はまだ、交流電化が始まったばかりで、鹿児島本線も北九州地方は電化が完成したものの、まだ大半は非電化区間だったのでカニ22も直流専用としたものと推察しますが、もし、鹿児島本線の電化が進んでいたら、交直両用の電動発電機を兼ね備えていたかもしれませんね。しかし、後述する重量の関係もあり、ただでさえデブっちょだったカニ22が交流区間用の機器を積んだら、さらなる重量増が見込まれ、あまり得策とは言えなかったかもしれませんね。

さて、カニ22の外見上の特徴と言えば、やはり車両の両端に設置されたパンタグラフでしょう。電動発電機は車内に入らないと見えませんが、パンタグラフは一目瞭然です。電車用のPS16をベースに、集電舟を電気機関車のPS17用のものを取り付けたPS18を2基取り付けましたが、ご存じのように20系客車は屋根が丸く深い設計になっていますので、パンタの取り付け部分だけを切り欠いて設置しました。客車にも 「低屋根車」 が存在するんですね。また、非常時のパンタの上げ下げを機関車から操作が出来るように、それ専用のジャンパ連結器を取り付け、機関車 (※) にも遠隔操作盤と連絡用の電話を備えました。

東京発の下り列車は機関車のパンタが2基、カニ22のパンタが2基、合計4基のパンタが並ぶ光景はまさに圧巻の一言。しかし、いざ走らせてみると、思わぬ不測の事態が襲うことになります。それは先程もお話しした重さの問題。カニ22は電動発電機を搭載しているため、空車重量が59トンになり、荷重こそカニ21よりも軽いですが、それに水を0.55トン、燃料を1.36トン加えるため、運行時の重さは実に70トン近くに達しました。このため、東海道・山陽本線は問題なくクリア出来るものの、3級線区の鹿児島本線ではその影響をモロに受けることになります。門司-博多間は問題ないかと思いますが、博多以南は軌道が些か弱い区間になりますので、牽引定数も制限されます。特に熊本-鹿児島間は70km/hの速度制限があり、 「はやぶさ」 の20系化の際に計画していた運転時分より8分ほど遅延することが判りまして、そこで 「さくら」 の牽引機関車をC60やC61に変更して、75km/h走行を確保し、荷物室の重量を2トンに抑えて、その場は凌ぎました。結果的に 「はやぶさ」 は8分プラスしての運転となるわけですが、次の 「みずほ」 の20系化に際してもカニ22は増備されています。

東海道新幹線が開通した昭和39年10月以降も寝台特急の需要は高まるばかりで、東京発九州行きの最後を飾る 「富士」 が新設されて、翌年には初の関西発九州行きとなる 「あかつき」 が登場するなど、20系の活躍場所は広がっていきます。しかし、カニ22は運用する線区が限られていたことから増える需要に対して、使い辛さが露呈するようになります。このような事情の中で、現場としては他の電源車と共通運用を図りたいという思いがあったみたいで、加えて、電化区間、特に交流電化区間が拡大していたことも含めて、電動発電機での給電がさほど必要でなくなりつつあったことも鑑みて、ついにパンタと電動発電機を撤去することになり、43.10改正までにその作業を終わらせ、カニ21と同等の車両になりました。電動発電機が設置されていた場所には燃料タンクを設置しています。

カニ22は6両製作され (日本車輛製の1~3と日立製作所製の51~53) 、全車品川客車区 (東シナ) に配置されましたが、撤去云々言う前の昭和40年に51が早々にパンタとMGを撤去して門司に転属し、52と53も佐世保線の入線を考慮してパンタとMGを撤去しています。昭和43年には1~3、52、53が揃って向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) に転属してそこでパンタとMGを撤去、品川からカニ22の配置が無くなりました。門司にいた51も43.10改正時に向日町に転属して、結果的に向日町に集結することになります。次に転機が訪れるのが昭和48年。 「あけぼの」 用として51と52が秋田運転区 (秋アキ~現在のJR東日本秋田車両センター) に、1~3と53は青森運転所 (盛アオ~現在のJR東日本青森車両センター) に転属して 「ゆうづる」 に充当されます。今度は東北地方が活躍の場になるのですが、2と53はその2年後、思わぬ改造を受けます。24系への編入改造です。

昭和50年3月のダイヤ改正で、24系25形を使用する 「あかつき (下り2号、上り3号) 」 は肥前山口駅で長崎行きと佐世保行きに分かれるため、 (おそらく佐世保編成だと思われますが) 集中電源方式を用いる24系では、片方の編成に電源車が無く、サービス電源を受けられません。集中電源方式の簡易電源車といえば、旧形客車改造のマヤ20がありますが、老朽化という部分とマヤ20はあくまでも20系用の電源車であるので、そこから24系と互換性を持たせる工事を施しても得策ではないという判断から、マヤ20はそのまま使用停止の上、廃車され、新たにカニ22を改造して24系に編入させることになります。これがカニ25です。
20系と24系では回路は勿論のこと、使用電圧も異なるため (20系は三相交流600Vなのに対し、24系は440V) 発電機を交換する必要があります。それまでのPAG1 (PAG1A) からDM96 (DM96A) に交換し、発熱対策のため電源装置の配電盤と車掌室の仕切は電源室側に移されました。パンタグラフが取り付けてあった場所にはベンチレーターが取り付けられ、前位側のジャンパ連結器は24系用のものに交換されるというのが主な改造箇所で、外観は特に手は加えられていません。改造工事は2両とも小倉工場で実施されました。

改造を受けて登場したカニ25は長崎客貨車区 (門サキ~現在は早岐駅構内に移転し、JR九州佐世保車両センターとなる) に配置されまして、前述のように 「あかつき (下り2号、上り3号) 」 に使用されましたが、昭和53年10月のダイヤ改正で 「あかつき」 は新型の14系15形に置き換わり、24系25形の運用は消滅。この段階でカニ25はお役御免となりまして、カニ22 2から改造されたカニ25 2はそのまま廃車されますが、カニ22 53から改造されたカニ25 1は向日町に転属して、24系25形を使用していた 「彗星」 「明星」 に使われることになりますが、実質的には 「彗星」 専用といっても過言ではないかと思われます。ただ、24系の電源車はあくまでもカニ24またはカヤ24なので、53.10以降、1両しか無いカニ25を捉えるのはかなり至難だったと聞きます。
そしてしばらく使われ続けた後、昭和59年に廃車され、カニ25は形式消滅。カニ22自体は昭和54年までに全車廃車されて形式消滅していますので、この段階でカニ25 1だけが唯一の生き残りでした。カニ25 1の廃車によって、カニ22の歴史にピリオドが打たれた格好になります。

画像は 「あかつき」 に使用されていた頃に撮られたものですので、昭和50~53年の間に撮られたものと推察されます。見えにくいですがパンタ取り付け後に配されたベンチレーターも見えます。何処で撮ったものかは判りかねますが、背後にNHKの社屋が見えることから、長崎駅で撮ったものではないかと推察します (佐世保駅前にはNHKの放送センターは無い) 。ということは、この 「あかつき」 は長崎編成に連結されていることになりますが、佐世保編成に連結していたと思い込んでいたので、これにはちょっとビックリしました。

奇抜にして画期的なアイデアとシステムを盛り込んだカニ22は、20系フリークには堪らない名車だったと思いますね。

※・・カニ22向け制御装置を取り付けた機関車は下記の通り。
EF58 92、95、114、115、116、117、119、122、123、124、154 (以上、東京機関区)
EF58 97、101、128、138、139、142、143、144、148、149 (以上、宮原機関区)
私の記憶が確かならば、この20系電源車制御装置を取り付けたEF58は、それを持たないEF58の他機と識別するために、20系客車の色に合わせて青15号と腰部にクリーム1号を入れた専用塗色 (いわゆる 「寝台特急色」 ) に塗られたのではないかと思われます。

【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
星晃さんのアルバムから国鉄車輌誕生秘話 (ネコ・パブリッシング社 刊)
鉄道ピクトリアル No.763 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.402 (交友社 刊)
ウィキペディア (長崎鉄道事業部、佐世保車両センター)