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EF81が牽引する貨物列車の絵面は、特に珍しくも何ともないと思いますが、昭和50年代、さらに首都圏に限定すると、EF81の存在は少しだけ珍しくなります。いや、 「珍しい」 というよりも、 「地味」 と形容した方が良いかもしれませんね。

今もなお、EF81は貨物に客車に八面六臂の活躍をしていますし、特に 「北斗星」 「トワイライトエクスプレス」 、そして 「カシオペア」 の牽引機として鉄道ファンならずとも、その名を聞いたことがあるかもしれません。しかし個人的には、EF81が大ブレイクするのは、やはりJRになってからだと思っています。国鉄時代は特段、目立ったなと感じたことがないのです。そりゃあ、 「日本海」 や 「つるぎ」 などのブルートレインも牽引していましたし、いわゆる 「日本海縦貫線」 ではスター的な扱いでした。しかし、直流機のEF65PFや交流機のED75が電気機関車の中では常にツートップの人気でしたから、EF81はやはり地味な印象が拭えなかったのです。

富山第二、酒田を中心に、EF81は続々と増備されていた中、昭和48年に当時の田端機関区に12両のEF81が新製配置されます。これが首都圏におけるEF81初進出となるのです。投入目的は 「東北本線のフレートライナー増強と上野-秋田間寝台特急増発用」 で、EF80を置き換える目的ではありませんでした。そう、田端機関区にはEF80の根城でもあり、いくら新進気鋭のEF81とて、簡単にEF80を追いやることは出来ず、むしろ、 「おみゃあ、何しにここに来たんぜよ?」 と言われる始末。EF80はそう簡単に主力の座を明け渡しませんでした。というわけで、EF81はEF80の陰に隠れながら、東北本線で貨物列車を黙々と牽引していました。説明するまでもありませんが、EF81は交直両用で、交流区間も60Hz、50Hzの両区間に入れる万能機関車です。その長所をフルに使うことはせず、例えば、黒磯駅ではEF81の特性を生かした車上切り替えはせず、黒磯に停車の上、地上切り替えで交流区間に乗り入れていました。まさに “宝の持ち腐れ” です。

日本海側でしか見られなかったEF81が太平洋側でも見られるということで、コアな電気機関車フリークは喜びましたが、やはりEF65とED75のツートップは揺るがず、相変わらず地味な運用を熟す日々が続きました。廃車になったEF80の補充用として、門司から遠路はるばる、ステンレス車体の300番台が2両、当時の内郷機関区に転属になって話題になりましたが、ブレイクすることはありませんでした。

昭和50年代中盤になると、さしものEF80も疲れが見え始め、廃車される車両が現れ始めました。
その置き換え用として白羽の矢が立ったのがEF81で、次第にEF81の良さが再認識されるようになってきました。そうなると止まらなくなるのが勢いというもので、従来の配属車に加えて、富山第二や酒田からの転属車も戦列に加わるようになり、いつしか組織率もEF80を上回るようになってきました。歴史が前後しますが、当初は貨物列車専門だったのが、いつしか客車列車も牽引するようになり、昭和50年代末期にはついに寝台特急 「ゆうづる」 を牽引するようになりました。これが東日本地域のEF81にとって初めての寝台特急牽引となります。牽引機には300番台も含まれていますので、300番台は 「さくら」 「はやぶさ」 「みずほ」 「富士」 「あさかぜ」 「明星」 「彗星」 「あかつき」 「なは」 といった九州特急に加えて、 「ゆうづる」 が加わるようになりました。
昭和60年には、さらに日本海側からEF81が大挙、転入してきまして、EF80は定期運用を失うことになります。

画像がいつ撮られたものかは分かりかねますが、EF81がまだ “地味” だと言われていた頃の一コマだと思われます。機番は93号機。新製直後から田端を離れていない生粋の “江戸っ子” 。EF81に “江戸っ子” という形容が適用かどうかは皆さんの判断に委ねますが、確か93号機は 「北斗星」 の牽引機に抜擢されて、車体側面に流れ星を描いた 「北斗星色」 になったんですよね。
93号機は2012年に廃車になっています。

でも、93号機といえばやはり、トミックスの鉄道模型を思い出します。
同社でリリースされた初代のEF81は93号機でしたからね・・・。

【画像提供】
は様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.223、289、425 (いずれも交友社 刊)
季刊 j train Vol.30 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア (国鉄EF81形電気機関車)