
昭和60年3月の国鉄ダイヤ改正は、東北・上越新幹線の上野開業というビッグイベントがメインの改正でした。その煽りを受けて廃止になる列車や、新しく設定された列車に一喜一憂した方も少なくないかと思いますが、もう一つ、忘れてはならない大きな出来事がありました。それはブルートレインに纏わること。
一つは、前年に九州で復活したヘッドマークが、この改正で全ての列車に取り付けられたこと。昭和50年3月のダイヤ改正で合理化の一環で (ヘッドマークが) 取り付けられなくなってから、10年ぶりの復活ということになります。そしてもう一つは東海道線東京口のブルートレインの牽引機がEF66に変更になったことです。
これは、 「はやぶさ」 にフリースペースのロビーカーが連結されることになったことに端を発するのですが、通常であれば、ロビーカーを連結する見返りに、寝台車を1両減らすのでしょうけど、今回は敢えてそういうことはせずに、寝台車を減車しないで、ロビーカーをくっつけたものですから、1両多くなりました (電源車込みで14両から15両) 。
説明するまでもなく、東海道線東京口のブルートレインは、東京機関区のEF65PFが一手に引き受けていたのですが、1両増えるということは、EF65では牽引出来なくなることを意味します。いわゆる 「牽引定数」 というやつですが、細かいことは置いといて、EF65PFの出力を鑑みた時、電源車込みの14両がMAXだったんでしょう。そこで国鉄は、代替の機関車を探すことになるのですが、国鉄の腹は決まっていたようで、貨物列車削減で些か余剰が発生していたEF66に白羽の矢が立つことになるのです。
国鉄ファンならご存じかと思いますが、EF66は貨物専用機として、当時、狭軌鉄道では世界最強のモーターを搭載していて、おまけに “日本人離れした” その流麗なスタイルは (機関車は人じゃないですけどね) 、全ての国鉄ファンをして 「貨物列車を牽かせるだけでは勿体ない。ブルートレインを牽かせたい」 と、 “夢の組み合わせ” を心待ちにしていたのです。既に、模型でその組み合わせを実現した人も多いかと思いますが、60.3改正で、ついにその “夢” が実現したのです。また、運用上の効率化という意味合いから、 「はやぶさ」 だけでなく、 「さくら」 「みずほ」 「富士」 「あさかぜ」 がEF66牽引となりましたが、 「瀬戸」 と 「出雲」 は (EF65PFによる) 運転距離が短いこともあって、EF65が存置されました。以来、列車の廃止までEF66牽引は継続されて、東海道線東京口だけでなく、 「あかつき」 「なは」 「彗星」 といった 「関西ブルトレ」 の牽引も引き受けるようになりました。
でもね、世間様はフィーバーだったんでしょうけど、私は素直に喜べませんでした。
私はどちらかというと、 「EF65こそ、最強・最高のブルトレ牽引機なり」 を信じて疑わなかったクチ。EF66に牽引機が交代するのを知った時は、嗚咽しました。
嗚咽した理由は、単に牽引機が交代しただけではなかったのです。
EF66交代を機に、 「富士」 と 「さくら」 はヘッドマークのデザインが変わりまして、特に 「富士」 に至っては、戦前の展望車に付けられていた富士山をデフォルメした山型のヘッドマークを “復刻” の意味合いを持たせて変わったのです。それが私にはどうしても許せませんでした。
それまで、ブルートレインといえば、 「富士」 をいの一番に連想するほど、 「富士」 が大好きな列車だったんですけど、EF66に牽引機が変わって、山型のヘッドマークになってからは 「どうでもいい」 と思うようになりました。もっとも、 「富士」 の運転区間が宮崎打ち切り (昭和55年10月改正で) になった時に熱が冷めたのですけど、60.3改正でトドメを刺されましたね。その翌年だったか (61.11改正だと思うんですけど) 、 「富士」 にもロビーカーが連結されるようになりました。でも、私的には 「だから何?」 と冷めた反応でしかありませんでした。
ブルートレインは大好きな列車ですけど、私的には60.3改正で時計が止まっているのかもしれないですね。