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事業者名:日の丸自動車興業(東京)

使用・用途:観光貸切仕様

愛称:GRAND PRIX

登録番号:練馬22 か 4362

社番:GP-7号車

初年度登録:1988年式

シャシーメーカー:メルセデス・ベンツ社(西ドイツ)

エンジン型式:ダイムラーベンツOM422A型

車両型式:O303RHD

撮影日:1990年10月10日(水曜日)

撮影場所:築地本願寺前

1980年代における貸切事業者のステイタスは、輸入車を導入することでした。勿論、国産のダブルデッカーやスーパーハイデッカーを導入するというのも一つのステイタスではあったんですが、やはり自家用車同様に、外車を持つということは、それだけ資金力があったという証しでもあった時代でした。確かにバスを撮っていて、外車が来ると否応なく 「おぉ~っ!」 と響めいたものです。

当時、日本での輸入車で幅を効かせていたのは西ドイツ (当時) のアウベルダー社製のバス。メーカーの名を聞いても 「・・・?」 となるでしょうけど、 「ネオプラン」 というブランド名を聞けば、誰しもが 「あぁ~っ!」 となるんじゃないでしょうか。

アウベルダー (ネオプラン) 、バンホール、ドレクメーラー辺りが当時の輸入車の 「Big3」 になるんでしょうけど、メーカーは違えど、実は共通点がありました。それはエンジン。一部、例外もあるんでしょうけど、基本的にはダイムラーベンツ製のエンジンを搭載していました。だから、メーカー名 (ブランド名) は知らずとも、大半のバスのフロント部分にベンツ社のエンブレム 「スリー・ポインテッド・スター」 が誇らしげに取り付けられていたので、 「ベンツのバスに乗れる」 と、引っ張りだこでした。中には輸入車を所有していた貸切事業者のパンフレットで 「ネオプラン製のバス」 ではなくて、 「ベンツ製バス」 という表現を使っていたのもありました。 「当たらずも遠からず」 なんですが、今も昔も日本人は 「ベンツ」 って聞くだけで、まるで水戸黄門の印籠のごとく、 「へへぇ~っ」 でしたからね。確かに、この当時のダイムラーOM422型エンジンは信頼性が高かったみたいで (一部のウテシ氏の証言に基づく) 、洗練されたヨーロッパのボディもまた、惹き付ける魅力の一つになったようです。

エンジンサプライヤーの徹していたメルセデス・ベンツが、自社のブランドを冠したバスをリリースしたことがありました。それが画像のO303RHDで、 「エアロバス」 とか、 「キュービックバス」 のような名は無かったのですが、1985年にメルセデス・ベンツの日本総代理店を介して (ヤナセではありません) 、初上陸を果たしました。エンジンこそダイムラーのOM422Aですが、ネオプランでもバンホールでもない、未知なるボディを目の当たりにした日本の事業者はすぐに飛びつき、翌年、宮城の宮城野観光バスがいの一番に導入しまして話題となりました。

O303RHDというと、画像の日の丸自動車興業や岐阜バス、日本急行バスの 「ベンツ特急」 を連想される方も多いかと思いますが、初登場は1983年だったそうです。しかも現地仕様の 「左ハンドル」 仕様で、大阪の中央観光バスに導入されたのが起源とされています。しかし、1980年代前半における日本の道路事情にあって、バスの左ハンドルが如何に使い勝手が悪かったのかは想像に難しくない話で、すぐに手放したとされる 「お伽噺」 になっています。

こういった事情を踏まえて、1986年に仕切り直しとばかりに、右ハンドル仕様のO303が再上陸し、前述の宮城野観光バスに導入されたのを皮切りに、日の丸自動車興業、岐阜乗合自動車 (岐阜バス) 、日本急行バス、西日本鉄道、西東京観光バスなどに導入されました。

画像の日の丸自動車仕様ですが、当時は 「東の日の丸、西の中央交通、中央観光」 と言われるほど、輸入車導入の双璧とされてきました。中央交通と中央観光バスは全くの別会社ですが、そう考えると、日の丸自動車は東日本では随一の保有台数を誇っていることになります。
ネオプラン社製の二階建てバスが主流だった1986年に1台、1988年に5台ものO303を導入した日の丸自動車ですが、ネオプランの二階建てバスが汎用だとすると、O303はフラッグシップと考えるのが妥当なんじゃないでしょうか。
今の 「セレガ・プレミアム」 と比較すると、泣きを見ることになりますが、1980年代ということを鑑みた時、日の丸の 「グランプリ」 はフラッグシップに匹敵する豪華さを誇っていました。マイケル・ジャクソンなど、世界のVIPも乗せたことがある由緒あるバスだけに、その優越感たるや、国産車では真似が出来ないパフォーマンスだったようですよ。前述のように名古屋の日本急行バス (名古屋観光日急→名鉄観光バス) は高速路線バスに導入し、同社の老舗的路線である名古屋-大阪間に充当して、 「ベンツ特急」 として一世を風靡したこともありました。これもバブルならではのエピソードですね。

国産のバスをも羨む “時代の寵児” となったO303RHDですが、時の流れとともに、陳腐さが見え隠れするようになり、各社とも軒並み手放すようになりました。今でもたまぁ~に見かけますが、見るに堪えない哀れな姿を曝け出しています。ただ、 「メルセデス・ベンツのバス」 は死んではおらず、京成バスや神奈川中央交通、岐阜乗合自動車が導入した連節バス 「シターロ」 で業界の注目を集めています。O303RHDの事実上の後継車として 「トゥーロ」 が僅かながら日本でも導入されていましたね。

日本中がお金に狂っていた1980年代後半、バスもまた、俗世間に溺れていた時代があったのです・・・。



【参考文献】
観光バスのページ
ウィキペディア (メルセデス・ベンツ、名古屋観光日急)